ニュース

日本人の多くが知らない「偉大な天皇」とは/倉山満

千年以上前に死刑を廃止した嵯峨天皇

上皇は平城京で政務を執り始め、「二所朝廷」と呼ばれる状況となった。天皇を天皇と思わぬ上皇側近に対し、嵯峨天皇は挑発に乗らず、慎重に事を進めた。文書を扱う蔵人頭を設置、情報を天皇側近に集中して、他(特に上皇側近)に漏らさないようにした。内閣官房への権限集中とインテリジェンス機能の強化である。 そして血迷ったのか、上皇が「平城京遷都」を宣言した瞬間に、有能な軍人である坂上田村麻呂を差し向け、3日で制圧した。後の南北朝の動乱は60年に及ぶ内乱となったが、嵯峨天皇は1年かけた入念な準備の末に、動乱を未然に鎮圧した。 上皇の側近の名を取り、薬子の変と呼ばれるこの政変で、当事者の藤原薬子は自殺、その兄の仲成は射殺されたが(正式な死刑ではない)、その他は島流しで済ませた。以後、保元元(1156)年まで346年間、死刑が廃止された。EU諸国など、今さら「死刑を廃止していない国は文明国ではない」などと加盟条件にもしているが、我々からしたら千年以上前に終わった話をされても困るとしか言いようがない。 この政変において、平城上皇は出家して許された。政治の敗者も野心を持たない限り、許される。皆殺しにされないし、残虐な拷問も受けない。日本における政争が諸外国より過酷にならなかった起源である。

実質的な憲法改正もやってのけた

自らの力量で戦争に勝って権力を握った天皇は三人。神武天皇と天武天皇と嵯峨天皇である(後世に後白河天皇と後醍醐天皇がいるが、その後の守成において能力に欠けすぎた)。天武天皇は独裁政権を樹立したカリスマだったが、嵯峨天皇は別のやり方で統治した。 嵯峨天皇は、当時の憲法典である律令を一字も改変することなく、実質的な憲法改正を行った。すなわち、先例の整理による運用の変更である。律令の解釈集をまとめ、『令義解』に統一させた。さらに、補完の為の法令である格式を整備、弘仁格式を編纂した。廃れていた多くの宮中行事を復活。この際、儀式の細目を示した『内裏式』全三巻を編纂した。 これを現代風に言えば、憲法典の条文はそのままに、恣意的な解釈を防ぐ解釈集を整備、附属法の制定により不備を補ったことになる。 運用は実質を重視し、「令外官」と呼ばれる、律令に規定されていない官職を生み出して、政治の実際に合わせた。たとえば検非違使である。桓武天皇が蝦夷平定を放棄して以降は常備軍が廃されていたが、嵯峨天皇は検非違使を制定、治安維持に当たらせた。
次のページ
イギリスのマグナカルタより400年早く、立憲君主制を実現した偉大な君主
1
2
3
1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

噓だらけの日本古代史噓だらけの日本古代史

ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作は、日本の神話から平安時代までの嘘を暴く!


記事一覧へ
噓だらけの日本古代史

ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作は、
日本の神話から平安時代までの嘘を暴く!

おすすめ記事
ハッシュタグ