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皇室の伝統を壊してはならない理由/倉山満

皇室には如何なる権力者も超えられない掟がある

 皇室について語るとき、先例が極めて大事になる。大枠、すなわち伝統を守るためだ。先例を無視して理屈を持ち出せば、時の権力者の思いのままだが、皇室には如何なる権力者も超えられない掟があった。それが伝統であり、伝統は先例の蓄積によって成り立つ。人間界の出来事を杓子定規に再現しようとするなど愚かだが、守るべき伝統を壊してはならない。だから、吉例を探し、時代に合わせて、准じて、変えて、大枠を守る。これを繰り返してきたから、皇室は一度も途切れることが無い伝統を守ってこれたのだ。 日本の皇居の二重橋 こういう常識を踏まえて、よくある誤解について考察。マトモな研究者でも、「結婚によって民間人の女性が皇族になれたのは、近代になってから」と理解している人もいる。この後に「だから、先例を無視して何をやってもいい」と続くと論外だが。  確かに、律令と典範だけ読んでいると、そういう風に読めなくもない。大宝元(701)年に定められた大宝律令では「皇后になっても皇親になる訳ではない」と解釈されていたし、明治22(1889)年の皇室典範で「一般人の女性も婚姻により皇族となる」と明記された。この間、約1200年。明治になって突然、「結婚した女性は皇族にしよう」と思い付きで新規立法を行った訳ではない。長い歴史の中で培われた先例を整理しただけだ。典範制定の中心人物である井上毅(こわし)は、膨大な先例を調査した。
言論ストロングスタイル

大日本帝国憲法と皇室典範の制定の中心人物となった井上毅(こわし)は、膨大な皇室史を研究し、長い歴史の中で培われた先例が、近代国家として調和するよう腐心した 写真/産経新聞社

皇女である皇族と、皇女ではない皇族の区別

 まず絶対の原則である。神武天皇の伝説から現代まで、皇女と皇族は違う。現在の皇太后陛下、皇后陛下、皇嗣妃殿下は、それぞれ、もともと正田さん、小和田さん、川嶋さんだったが、今は皇族だ。ただし今も皇女ではない。愛子殿下や佳子殿下は生まれながらの皇族で皇女だ。皇女である皇族と、皇女ではない皇族の区別は現代でも絶対だ。  古代では皇族同士の結婚が普通だったが、徐々に変化した。人臣最初の皇后は、奈良時代の光明皇后とされるが、第16代仁徳天皇の磐之媛命(いわのひめのみこと)が先例とされた。磐之媛命は第8代孝元天皇直系の男系女子なので、藤原氏出身の光明皇后とは厳密には異なるが、「時代に合わせて准じて変え、大枠を崩さない」と考えられた。光明皇后は当初「藤原の娘」として扱われたが、晩年は皇族に准じる権威を得て、尊敬されていた。  平安初期、特に第52代嵯峨天皇の時代は、それまでの先例を整理した時期だ。奈良時代に横行し皇室の安定を揺るがした先例破りを戒める掟が整理された。嵯峨天皇の時代に整理された先例(掟でもある)は、後世の模範とされた。その中の一つが、人臣皇后の定着だ。皇族同士の結婚よりも、人臣皇后の方が上手くいったので、変化を繰り返しながら、現代までの先例となり続いている。  嵯峨天皇の皇后は人臣出身の橘嘉智子(たちばなのかちこ)だが、生前から聡明と評判で、天皇崩御後の政界を主導、第54代仁明天皇の母として重きをなした。
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時代によって柔軟に変化する「天皇の妻」という地位の運用
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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