ニュース

「2001年に閉園したテーマパーク」豪華ホテルで話題を呼んだが、徐々に来場者は減少…志半ばで倒れた“ある男の夢”

行川アイランドは「森暁氏の理想郷」だった?

テーマパークの歴史を見ていくと、それがたった一人の個人のとんでもなく巨大な想像、いや、空想、あるいは妄想によって作られた、ということが多々ある。代表的なのはディズニーランドだろう。それは、ウォルト・ディズニーという一人の男の、理想的なアメリカ像をもとに作られた。 ディズニーランドほどではないにしても、行川アイランドもまた、日本の高度成長を夢見て、そこに巨大な彼だけの理想郷を作ろうとした森暁という男の執念があったといってよい。

ただの別荘地ではないように見える「鵜原理想郷」

実は、ここ勝浦の地で、行川アイランドよりもずっと前に、また別の理想郷を作ろうとした人物がいることはあまり知られていない。その人物の名は、後藤杉久という。 元々、彼は熊本出身で、上京して千葉県の漁業振興に乗り出した実業家であった。その後、1921年からここ勝浦で鵜原理想郷(うばら りそうきょう)という別荘地を作ろうとしたという。 『勝浦市史』によれば、最初は後藤が個人名義でこの周辺の土地を買っていたが、後に合資会社を設立し、以後はその会社の名義で土地を買収したらしい。当初の目標ではこの地に50万坪の土地を買って、そこに別荘や児童遊園、温浴場などを作ろうとしていた。 別荘地開発の走りともいえる事業であるが、そこに建てられる予定だった施設のリストを見ていると、それはただの別荘地ではなく、後藤が夢見た理想的な街の姿だったともいえるかもしれない。後藤はこの鵜原理想郷について「世界各国に於ける理想郷の粋を集める」ことを目的だとした。それは、後藤の理想とする施設を寄せ集めた、まさに彼にとっての理想郷であった。
次のページ
行川アイランドと鵜原理想郷は夢半ばに終わったが…
1
2
3
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ