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母からの暴力に“愛情を感じた”20代女性の主張…「私と母にしかわからない事情がある」

虐待されても「母を絶対視していた」理由

山本愛夢

プロジェクトで出会ったアーティストの絵に感動していた

 当時の心理について、山本氏が口にする言葉は興味深い。 「あのとき、いろいろな立場の人たちが私を守ろうとしてくれたのは今なら理解できます。ただ、当時の私は、『ママと違う意見を言う大人がいたら、それはその人が間違っている』と思うくらい母を絶対視していました。  確かに暴力を振るわれていたけど、それは社会の視線が厳しい片親育ちの惨めさを味わわせたくないという母なりの愛情だし、母は私を育てるために誰よりも真面目に働いているんだから――本気でそう思っていたんです。私と母にしかわからない事情があるのに、外野がどうして母を批判するんだろう、くらいには考えていました」  実際、山本氏の母親が子育てをする際に絶えず口にしていた言葉がある。 「『他所様に恥ずかしくないように』『ちゃんとしなさい』とは、事あるごとに言われていましたね。そのための躾という側面も、事実あったとは思います。母は母なりに、私が世間から見下されないように、すごいプレッシャーの中で子育てをしているんだろうなというのは伝わってきました

「親に殴られた」同級生の話を聞いて…

 虐待されているという事実を誰から伝えられても心底から納得していなかった山本氏は、たとえば友人関係においても“ズレ”と体感することになる。 「高校時代、トイレにみんなで溜まって話しているときのことです。ある子が『うち、この前、親に殴られてさ』みたいな話を始めたんです。私はそれとなく聞いていたんですが、周りが『え、それ、あり得なくない?』という反応で。私は黙っていましたが、『みんな躾をされていないんだな』と思っていました」  高校時代に山本氏は児童相談所へ繋がり、その後は母と離別する。端緒は当時の担任に「今日、死のうと思う」と相談したことだった。母からの暴力を苦にした相談かと思えば、「それは違う」と山本氏はかぶりを振る。 「おそらく仕事のストレスで、母が体調を崩していたんです。母はそれを『あなたのせいでこうなった』と言っていました。大好きな母を、私が苦しめているという現実が辛かったんです。当時は、母から離れなければという思いが強かったです。  施設に入所することで、徐々に自分が母から受けたことが“虐待”だったと受け入れることができたのですが、当時『虐待されているから助けてほしい』なんて微塵も思っていませんでした
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母に「愛情はあった」とは思うものの…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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