「2DKに50袋分のゴミの山」亡くなった1人暮らしの毒親、45歳息子が語る後始末
親の死はある日突然訪れる。そして、故人の遺品の処分は誰もが直面する問題だ。今回は、実父の遺品整理に直面した、都内でwebサイト運営に関わるWさん(45歳・男性)に話を聞いた。
Wさんのお父さんは、要支援2と軽度で、午前中にエンジンがかかるまでは動けない、腰痛がひどい、肺に疾患を抱える程度で、比較的介護の手がかからない高齢者だった。
Wさんは3人兄弟の中間子。存命中は、兄弟3人で主に見守り・食べ物や日用品の差し入れを分担していた。肺疾患で数回の入退院を繰り返したが、タバコだけはやめなかった。「離婚した父には、それしか楽しみがなかったのではないか」とWさんは振り返る。
Wさんの父はいわゆる「毒親」だった。しつけが異様に厳しく、お手伝いを終わらせなければ、遊びに行かせない、鉄拳制裁があるなど、他の同級生たちを羨んだ時期もあった。事業に2度ほど失敗した父は経済的に不安定で、母がパートの掛け持ちで家計を支えていた。殴る父とそれを身を挺して守ろうとする母。Wさんはそんな実家から早く自立したいと、社会人になるとすぐに1人暮らしをした。
そんな父も60歳半ばには身体が衰え、Wさんは1時間半かけて見守りに通った。
「1時間半かかるということを言い訳にし、なるべく距離を取りたかったです。主に通っていたのは父と気の合った弟で、僕は通わない分、食費を多く出すなど金銭面でサポートをしていました」
父は年金暮らしだった。しかし、会社員ではなかったため、国民年金のみでギリギリの生活をしていた。その暮らしを兄弟3人が生活必需品や食料品を購入して支えていた。いわゆる「毒親」を持つ子どもが、親に介護やサポートが必要になった時に、複雑な気持ちを抱くことは多い。Wさんの場合はどうだったのだろう。
お父さんは3か月前に77歳で、肺気腫で亡くなった。父は10年ほど前に母と離婚し、さいたま市内のアパートに一人暮らしをしていた。介護保険制度の要介護認定の段階は、一般的には「自立」「要支援1〜2」「要介護1〜5」の計8段階がある。
比較的介護の手がかからない父親
毒親の「見守り」の心構え
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1
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