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サウナでタオルを扇ぐ“熱波師”は職業たり得るのか? 人気熱波師「サウナという空間を邪魔しない」

“オリジナル”にならざるを得なかった「おふろの国」の熱波サービス

 そもそも「おふろの国」の熱波サービスは“オリジナル”にならざるを得なかった。サウナ室の熱源が遠赤外線ストーブのため、ロウリュをするにしても肝心の石がないのだ。でも「なければ持ってくる」という結論に至り、最初は厨房でフライパンの上で焼いた石を使った。試行錯誤を繰り返した末、現在ではアルミニウム合金の寸胴に石や煉瓦を入れて加熱する方法をとっている。それをサウナ室に持ち込んでロウリュを行うのだ。 「だから『おふろの国』の熱波はフィンランドのロウリュともドイツのアウフグースとも似ているだけで別もの。僕はそもそも人と同じことができないし、それでいいんだと思ってます」

「おふろの国」のロウリュで使うのはカセットコンロで熱した石と煉瓦。かつてはフライパンで石を焼いていた

 熱波師に対価を支払うスパ施設が彼らに望むのは集客力だ。その集客力を生むのが個性だとしたら、井上氏の「人と同じことができない」性分は磨けば光る石だったのだ。氏は続ける。 「サウナは“空間”です。本来、ロウリュやアウフグースなんていらないくらい、そこにいるだけで気持ちいい“空間”なんです。だから僕はその邪魔をしたくない。パフォーマンスを見てくれ、という主役にはなりたくない。サウナをみなさんと共有したいだけ。僕はサウナに入りに来ただけ。みなさんのほっとした表情を見たいんです。ショーのような盛り上がりじゃなくて、日常の静かな微笑みが欲しい」  井上氏に独立後に何が変わったか尋ねると「心の自由度」だという。その自由へと背中を押したの他ならない家族だった。 「井上勝正はもっといける。もっと変なものになれる。そう言ってくれた奥さんには感謝してます。中二の息子の将来のためにも稼がなきゃいけない。だから僕は熱波師を仕事として成立させるし、熱波師の可能性を見せていきたい」

林さんと一緒にいろんなものを見たから、思考停止せずにやって来られた

インタビューに答える井上氏はいつになく真剣だった

 井上氏が感謝を捧げるのは家族だけではない。「林さんと一緒にいろんなものを見たから、これまで思考停止せずにやって来られた」。そう、「おふろの国」の店長・林和俊氏(49歳)だ。ロウリュもアウフグースも黎明期だった頃に同施設で熱波サービスを開始。プロレスラーを廃業した井上勝正の才能を見出し、熱波師としての活躍の場を提供したのも林店長だ。もともとプロレスが好きで、「大日本プロレス」の興行で彼に目を留めた。林店長は言う。 「『大日本プロレス』から連絡があって、井上さんに働いてもらうことになったんです。プロレスラーを廃業したばかりだったというのもあると思いますが、彼に早朝の清掃業務をまかせたところどんどん痩せていってしまって。そのとき、“この人は人前に出さないと死んじゃうな”と思ったんです。だからテレビ番組で見て知った熱波サービスを彼にやってもらった、というのが始まりです」  井上氏によると、「プロレス廃業時に95㎏あった体重が、1年もかからずに68㎏まで落ちた」という。生活パターンが変わり、徹夜したのち早朝に清掃を行うのはかなりの重労働だった。そんな中で始めた熱波サービスだったが、先述の通り客の反応はイマイチだった。それでも林店長は懲りることなく続けた。 「お風呂場には施設の従業員とお客さんが絡むような出来事がほとんど起こらない。でも熱波サービスは従業員とお客さんが向き合い、お互いを知るいい機会になると思ったんです。温浴施設は“設備産業”で、食料品店や書店みたいに棚の陳列を変えたりできない。つまり動きがないんですよ。それでもお客さんに飽きられないようにするために何ができるのかというと、やっぱりイベントで。イベントを嫌いな人がいたとしても、好きになってくれる人がいたらそれでいいんです」
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他の業界に負けない温浴の力を社会にアピールしたい
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