スポーツ

競輪とは無縁のママチャリ女子が「プロになって初優勝を成し遂げるまで」の軌跡

常に出し切りたい……だからこその先行

刈込選手

初優勝を成し遂げ、地元の大声援を受けた 
提供/公益財団法人JKA

 デビュー以降、徹底先行を貫いている刈込選手だが、実はこのスタイルは競輪選手になる前から確立していたとのこと。国体に出場した際に、先輩から言われたアドバイスが今でも彼女に根付いていたのだ。 「高校3年生までケイリンを走ったことがなくて。基本はタイム系、出てもスクラッチくらいだったので、ケイリンのルールを全く知らないままインターハイに出たんです。もちろん、ルールブックは読んだのですが、ホントに意味が分からなくて(笑)。その後の国体もケイリンで出場して、インターハイの時よりは把握していたのですが、それでもあまりよく分からず走っていました……。敗者復活戦の時に、先輩に『力を出し切れないよりは、先行した方が結果的に負けても納得するんじゃない?』って言われて、その一走を先行してみたんです。結果的には3着で、ダメだったんですけど、たしかに『出し切れた』と思えて。その時から先行するようになりました」

絶望から這い上がるきっかけとなった「大先輩の言葉」

 そして、デビューからちょうど一年が経った昨年の5月に、弥彦競輪場でデビュー後初となる落車を経験。5カ月ほど欠場した後にレースに復帰するも、ケガの影響が残っていたのか、良い結果を出せず思い悩む日々が続いたという。その時は心身ともに最悪の状態だったそうだ。 「落車から復帰して再び弥彦を走った最終日に、自分が走る一つ前のレースで、その時の自分と同じ車番の選手が落車したのを見た瞬間、再び落車のイメージが甦ってしまって……。やっぱり、あの時の事を払拭できていないんだなと。しかも、その時は手首をケガしていたのでハンドルも上手く握れず……。精神的にも肉体的にもドン底状態だったので、その後、また一か月くらい欠場しちゃったんです。もう練習もしたくなくて、少し自転車から離れていた時期がありました」  そんな時に、大先輩である元グランプリ女王の高木真備さんのインタビュー記事の中で、注目レーサーとして自分の名前が挙げられているのを目にしたことで心境の変化が訪れたと言う。 「真備さんは憧れている選手の1人なので、あんなふうに言ってもらえて嬉しかったです。あの記事を読んだら『これは頑張らなきゃ!!』っていう気持ちになって、7月の前橋から復帰することを決めました。記事を読む前は、前橋も出るか迷っていたんです。33バンクは大好きなんですが、『そのバンクで逃げられなかったら私はどこで逃げられるの?』っていうプレッシャーもあったので……。だから、前橋もパスしようかなと思ってただけに、あの記事には本当に救われました。あれを読んでいなかったら、復帰がもう少し遅くなっていたかもしれません」
次のページ
復帰を遂げた彼女の“次なる夢”
1
2
3
パチンコ雑誌『パチンコ必勝ガイド』『パチンコオリジナル実戦術』の元編集者。四半世紀ほど勤めた会社を退社しフリーランスに。現在は主にパチンコや競輪の記事を執筆している。
X(旧Twitter):@sagyosakurai

記事一覧へ
勝SPA! 
おすすめ記事