更新日:2023年12月14日 18:58
エンタメ

実家が破産、両親が離婚…「夢グループ」CMの“愛人キャラ”保科有里(61歳)の知られざる人生――2023年大反響トップ7

芸能人になりたいわけじゃない

保科有里――東京に出てきてからは、有名な先生の下で修行していたんですか? 保科:電話番や秘書、カバン持ちなど、付き人みたいな仕事をやっていました。ここでOL時代につちかった給料計算や運転の技術が役立ちましたね。先生の当時の愛車、BMWの運転もしていました。 ――確かに、そうですね。歌のレッスンはしていたんですか? 保科:歌のレッスンは3年間で3回だけ。あとは「僕が誰かにアドバイスをしてるのを聞いて学べ」と言われて、ライブとかレコーディングしているところを見ていました。そこで「自分の生きてきた背中で歌え!」とか「歌うときは指先から恋しがれ!」なんて、その当時ならではのアドバイスを受けました。

ホテルのラウンジで社長との出会い

保科有里

石田社長(左)と保科有里さん

――実際にデビューできた時はうれしかったですか? 保科:修行時代、3年がんばったからと、ようやくデビューすることができました。デビューして先生のもとを離れ、4〜5年経ってホテルのラウンジで歌わせてもらえるようになって、ずっと歌いたかったカーペンターズとか洋楽を歌えるようになリました。別に芸能人になりたかったわけじゃないから、歌える喜びのほうが嬉しかったです。 ――夢グループに入るきっかけも、そこのホテルのラウンジですよね? 保科:そうなんです。社長はラウンジ好きなので、ディレクターさんからの紹介で私が歌ってるところに来てもらいました。当時は事務所を3回変わって1年間フリーの時期で、ぼちぼち田舎の金沢に帰ろうかなと考えていた頃でした。だから夢グループに所属することになって、とにかく居場所ができて良かった。
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島倉千代子、小林旭…大御所との交友
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放送作家を経てフリーライター&作詞家として活動中。好きなテレビ番組は「ザ・ノンフィクション」、好きなラジオはTBSラジオ、得意料理は春巻き。得意領域はカルチャー、音楽、芸能、住宅、美容など。Twitter:@rokohiroko
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