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ケンタッキーは“高い”「クリスマス以外は買わない」という時代も…一時の不調からV字回復するまで

化学メーカーで勤務する傍ら、経済本や決算書を読み漁ることが趣味のマネーライター・山口伸です。『日刊SPA!』では「かゆい所に手が届く」ような企業分析記事を担当しています。さて、今回は日本KFCホールディングス株式会社の業績について紹介したいと思います。 そろそろクリスマスが近づき、ケンタッキーフライドチキン(以下、KFC)の利用を考えている方も多いかと思います。近年、KFCはテイクアウト需要の伸びもあって売上は増え続け、新規出店と店舗改装を進めてきました。今年4月には1,200店舗を突破しています。とはいえ長く伸び続けてきたわけではなく、1992年に1000店舗を記録後、2000年代は長く停滞が続いていました。何が突破口となったのでしょうか。国内におけるKFCの歴史と再拡大を促した施策について見ていきたいと思います。
KFC

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万博に出店後、国内で本格的に展開

日本におけるKFCの始まりは1970年の大阪万博にあります。万博のアメリカ館に出展したKFCはフライドチキンを知らない当時の日本人に受け、1日で最高280万円の売上を記録するなど大成功だったようです。その後、鶏肉の供給先を模索する三菱商事と米・ケンタッキー・フライド・チキン・コーポレーションとの折半により日本法人が設立されました。 70年に1号店をオープンした後、僅か2年後には100店舗を展開し、80年には300店舗を超えました。85年に500号店を開店後、88年には全都道府県への出展を達成します。そして1990年には東証二部上場を果たし、92年には国内1,000店舗を突破しました。国内で真新しい業態を切り開いたこともそうですが、成功の要因が11種類のハーブとスパイスを活用したフライドチキンの美味しさにあることは、言うまでもありません。

2000年代に停滞した理由は…

しかし2000年代は停滞が続きました。FC店と直営店の売上を合わせたチェーン売上高は1,000~1,100億円と横ばいに推移し続け、70、80年代のように店舗数も大きく増えることはありませんでした。伸び悩んだ最大の理由は「高い」というイメージにあります。 不景気下でのデフレ時代に他チェーンよりも高い価格帯は受け入れられなかったようです。当時のメニューを見るとチキンorバーガー、フライドポテト、ドリンク付きのセットで600、700円を超えることも一般的でした。
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突破口になった「お得なセットメニュー」
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経済・テクノロジー・不動産分野のライター。企業分析や都市開発の記事を執筆する。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー。趣味は経済関係の本や決算書を読むこと。 Twitter:@shin_yamaguchi_

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