イトーヨーカドーを見捨てられなかった「セブン&アイ」が窮地に…「日本を代表する企業」が海外勢に狙われる理由
経済本や決算書を読み漁ることが趣味のマネーライター・山口伸です。『日刊SPA!』では「かゆい所に手が届く」ような企業分析記事を担当しています。さて、今回は株式会社セブン&アイ・ホールディングスの歴史について紹介したいと思います。
同社は祖業であるイトーヨーカドーを生み出し、首都圏を代表するGMS(総合スーパー)としての地位を確立しました。1974年には米国からセブン-イレブンとデニーズを輸入。コンビニ事業で成長し、セブンの米本部まで子会社化しました。世界で8万店以上を展開しています。しかし直近では北米のコンビニ大手「アリマンタシォン・クシュタール」がセブン&アイの買収を狙う一方、買収防衛策としてファミマを擁する伊藤忠商事が出資するという話も出ています。日本を代表する企業の行く末はどうなってしまうのでしょうか。
セブン&アイHDのルーツは1920年に浅草で開業した洋品店「羊華堂」です。羊華堂では主に衣料品を扱っていました。創業者の子息である伊藤雅俊氏も1946年に千住で「羊華堂」を開業。同氏は1961年に食品スーパーとして初のチェーン店を開店し、首都圏を中心に店舗展開を始めました。チェーン展開について伊藤氏は欧米視察で着想を得たそうです。
そして68年には千住店を地上6階、地下1階に拡張してGMS業態を確立、商号を「イトーヨーカ堂」に変更しました。当時はダイエーやニチイなども伸びていた時代であり、1階に食品スーパー、上層階に衣料品コーナーというGMSは新たな消費の場として普及しました。72年には現在と同じイトーヨーカドーに名称を変更しています。
1974年には、米国の事業を輸入する形でセブン-イレブンとデニーズの1号店を国内でオープンしました。セブン開業を主導したのは63年にイトーヨーカ堂に入社した鈴木敏文氏です。当初はコンビニ業態に対して否定的な意見が多かったものの、伊藤雅俊氏を説得し、開業にこぎつけました。開業当初の開店時間は名前の通り、7時~23時です。
豊洲の1号店では当初、食品スーパーでの売れ筋商品やアメリカの店舗で人気だったハンバーガーなどのファストフードを中心に扱っていました。その後、食べる直前に手で巻くタイプのおにぎりや、おでんの販売を考案し、試行錯誤を重ねて現在のような商品構成に至ります。セブンは開業からわずか2年後に100店舗を達成。93年に5,000店舗、2003年に1万店、2018年に2万店と、コンビニ事業は著しいスピードで成長しました。91年には米セブンの運営企業であるサウスランド社を子会社化し、92年には中国に進出しています。
セブンは現在、国内約2万1,000店舗を展開し、2位のファミマ(約1万6,000店舗)及び3位のローソン(約1万4,000店舗)と大きく差を開いています。しかし量だけでなく「質」の面でも他社に差を付けています。一日あたりの客数が他社よりも多く、1店舗当たりの日販はセブンが69万円である一方、ファミマとローソンは55万円前後です。目的買いに合わせた無駄のない商品構成や、好立地を抑える情報収集力が他社に優るためと言われています。
なぜ「イトーヨーカ堂」になったのか
量・質のいずれもライバルに差をつけるコンビニに
経済・テクノロジー・不動産分野のライター。企業分析や都市開発の記事を執筆する。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー。趣味は経済関係の本や決算書を読むこと。 Twitter:@shin_yamaguchi_
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