更新日:2024年02月13日 19:44
仕事

「組織で働くことに馴染めなかった」女性が、世界一周の旅から“自分らしい働き方”を見つけるまで

 ゲストハウスを営むような人は社会から少しはみ出してしまったり、いろんな動機で国内外を放浪した末になにかを悟ったり……と、クセの強い人生を歩んでいる場合が多い。群馬県高崎市で古民家を改装した「カフェ&ゲストハウス 灯り屋」を営み、そのうさぎのような雰囲気から「うさ子」の愛称で親しまれている田村祐美さんもそんなひとりだった。
うさ子

灯り屋のうさ子さん

 彼女がこの地に根ざし、自分らしい働き方に出合うまでの紆余曲折に迫った。

日本のことをなにもわかっていなかった

うさ子さん

お客さんとの語らいはうさ子さんにとっても楽しい時間

 うさ子さんは障害者支援施設で保育士として働いていた。が、ほどなくして退職。保育士の仕事自体は好きだったが、組織で働くことにどうしても馴染めなかった。 「好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと自分の責任で言えないのが嫌でした。なにか納得のいかないことがあると、なんで? なんで?と突き詰めてしまうタイプなので、そういう部分も組織には合わなかったのだと思います」  その後、うさ子さんは保育士の仕事で貯めたお金でピースボートで世界一周の船旅に出た。リビア、エジプト、エルサルバドル……などたくさんの国々を巡りながらその地元の人々と交流を深めた。彼らは自分の国の政治や問題点について熱く語り合い、うさ子さんにも話を振ってきた。 「で、うさ子は今の日本についてどう思う?」  彼女はその質問になにも答えることができなかった。自分は日本のことをなにもわかっていなかったと思い知らされた。

カフェをオープンするも区画整理で退去に

ビール

ゲストハウスには、種類豊富にビールを揃えている

 日本に帰国すると、地元の高崎でいくつものバイトを掛け持ちして働いた。日本と地元のことをよりよく知るためだったのだが、他にもうひとつ目的があった。この頃にはすでに自営業をやりたいという気持ちが芽生えていたのだが、なんの店にするかは決めかねていた。それを決めるためでもあった。  いちばん気に入ったのはコーヒー1杯でもビール1杯でも気軽に立ち寄れるカフェの仕事だった。自分のやる店はこれだ!と思った。そのカフェの店長に相談すると、その背中を押してくれ、さらに開業の手伝いまでしてくれた。そして高崎駅近くに「あなたと私」という意味の店名の「you ē me cafe(ユイミカフェ)」という自分の店をオープンするに至った。 「そのときの店長には今でも感謝しています。店長に出会っていなかったら自分の店を持つことなんてできていなかったでしょうね」  看板も出さない隠れ家的な佇まいの店だったが、徐々に常連客が付いていった。が、店の経営が軌道に乗りかけた矢先のことだった。区画整理で退去を迫られてしまったのである。 「この退去はまったく納得のいかないものでした。でも、なんとかポジティブに捉えたくて、退去させられたのではなく、新しいことを始めるために自分から退去したということにしました
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バイオレンスものや歴史ものの小説を書いてます。詳しくはTwitterのアカウント@kobayashiteijiで。趣味でYouTuberもやってます。YouTubeチャンネル「ていじの世界散歩」。100均グッズ研究家。

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