次第に風当たりが強くなる
新宿・思い出横丁のステッカーボムは世界的に有名なスポットのひとつ
1990年代からはインターネットが登場したことにより、ステッカーは世界規模で取引されるようになった。
しかし、それと同時にステッカーボムやグラフィティに対する風当たりも強くなっていき、世界各国で自治体が対策に乗り出すようになった。
だが、いくらステッカーを剥がし、グラフィティを洗い流したところでアーティスト達にとっては「新しいキャンバス」が用意されたようなもので、いたちごっこの様相を呈するばかりであった。
そのため、有効な対策を打てなかった自治体の中には、あえてアーティストたちと手を組み、壁画の製作を依頼したり、「ストリートアート特区」を独自に指定するなどして景観の保全を図った。こうして、行政サイドとの融和が進むにつれ、
ただの落書きや景観破壊としか見られてこなかったストリートアートにも一定の評価がなされるようになっていったのである。
政治系ステッカーも
2000年代に入ると、日本を代表する芸術家の草間彌生が、自らの個展にストリートアートの手法を取り入れ話題を呼んだ。これは、来場者に色とりどりの丸いステッカーを配布して、真っ白な空間に自由に貼って回らせるという、参加型作品であった。また、今や世界的アーティストとなったバンクシーが脚光を浴びるようになったのも2000年代からだ。日本では、2008年ごろに都内で謎の“力士シール”が話題になったりもした。
2010年代になると、SNSを通じてストリートステッカーのコミュニティはますます広がりを見せ、ステッカーで生計を立てる者も多くなった。しかし、それと同時にアーティストたちは“セルアウト(商業主義化)”してしまうジレンマに直面する。
こちらも政治系ステッカー
先に述べたShepard Fairey氏は、自らの作品がブランド化した今でも「
ストリートアートはあくまでストリートに留まり、誰にでも開かれた存在であるべき」と提唱している。また、一部のアーティストたちの中には「ストリートアートはあくまで反体制的であるべき」として、市民権を得ることに否定的なスタンスを取り続ける者もいる。
そして現在、スマホアプリなどの進化によって、ステッカーはデザインから印刷まで誰でも簡単に出来るようになり、ステッカーを用いて表現活動をするアーティストは増え続けている。しかし、相変わらず行政サイドとのいたちごっこも続いており、冒頭で述べたとおり市井からの評判はおおむね芳しくない。