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元「奨励会」35歳男性が“プロ棋士になる道”を断念した理由。友人・若葉竜也の言葉が後の進路を決めるきっかけに

「将棋の強い小学生」に対して子ども扱いしない

――お話を伺うと、シビアな対局の連続は精神的にも非常に大きな負荷になると思うのですが、それでもなお栗尾さんが現在に至るまで将棋に関わり続ける意味、そして将棋を通じて知ったことを教えていただけますか? 栗尾:純粋に将棋が好きだからでしょうね。奨励会ではずっと「負けず嫌いじゃないとプロにはなれない」と言われてきましたし、現在教えていてもその側面は感じます。ただ、私の場合は負ける悔しさよりも将棋を指せる楽しさが勝ってしまって、「次はどうやったら勝てるかな? もっと指したい」みたいな感情が強かったですね。  結局のところ、将棋は娯楽なんです。でもそれは、真剣勝負の厳しさを知ることもできる娯楽です。そして、年齢の関係ない勝負事でもあります。たとえば私は、将棋の強い小学生に出会ったら、子ども扱いせず、ひとりの棋士としてリスペクトします。実社会は年齢でいろいろなことが進む場面もありますが、少なくとも盤上では年齢は関係ありません。  現在は後進育成をしていますが、必ず「相手をリスペクトしながら、『でも自分の方が強い』と思って臨みなさい」と指導しています。勝ち気な子は相手を見くびりがちですが、それは本物の自信ではない。相手を敬いつつ、自分が重ねてきた経験に自信を持てるようになるのが本物の自信だと私は考えています。そうしたことも、将棋を通じて知ったものの1つでしょうね。 =====  プロ棋士になれるのは、頂点に君臨する者のうち、さらに一握り。その掌からこぼれ落ちた人たちは、潰えた夢のあとに何を探すのか。取材のきっかけはそうした単純な疑問だった。  将棋盤に向き合う静かな居住まいと裏腹に、身体の裡を乱高下するさまざまな感情。何度も繰り返された思考の果てにたどり着く、勝負手。盤上の格闘技の名にふさわしい静寂の激戦を幾度も経験する。  常人ではありえないほど思索にふけったプロ棋士の卵たちは、たとえ孵化が叶わなかったとしても、自らの人生において多くの持ち駒をなお残す。将棋を通して掴んだすべてを活かし、光る“次の一手”を放つ。 <取材・文/黒島暁生>
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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