元「奨励会」35歳男性が“プロ棋士になる道”を断念した理由。友人・若葉竜也の言葉が後の進路を決めるきっかけに
プロ棋士への登竜門として知られる「奨励会」。全国から将棋の精鋭たちがしのぎを削る修練の場だが、それでもなおプロへの道のりは険しい。
現在、KAI将棋教室芝浦校/品川校室長を務める栗尾軍馬氏(35歳)は、奨励会退会後、お笑い芸人を目指してNSCへ入学するなど、異色の経歴が目を引く。厳しい勝負の世界で生き、プロを断念したその先に、栗尾氏が見つけた風景とは――。
――栗尾さんと将棋の出会いについて教えてください。
栗尾軍馬(以下、栗尾):小学校2年生のとき、同じ社宅に住んでいた少し上の学年の友達から「将棋をやろう」と誘われました。当然負けてしまうわけですが、それが悔しくて親に「勝ちたい」と伝えたところ、近所の将棋教室に連れて行ってくれました。そこはお米屋さんを営む傍らで将棋を指す場所を提供しているような感じのところで。
――意外な場所で将棋を教えていますね(笑)。すぐにプロ棋士になるのを意識し始めたのでしょうか?
栗尾:いえ、当時はとにかく「強い人と将棋を指したい」と思っていました。結局、その近所の教室では、1年もしないうちに私が教える側になっていたりして(笑)。居心地は良かったんですが、よりハイレベルな対局相手を探し求めるようになりました。本格的な将棋に触れたのは、練馬にある「天童」という将棋道場でした。そこで地力を培うことができたのですが、恩師が亡くなってしまい、小学校5年生くらいまでいろんな将棋道場に顔を出したりしていたんです。そのあと、小学校6年生で小学生将棋名人戦(公文杯)に出て、東京都で優勝、全国でベスト16まで行きました。その夏に、奨励会に入りました。
――奨励会に入るための条件はどんなものでしたか?
栗尾:当時と現在では入会要件が異なっています。私が入った当時は、3日間の審査がありました。2日間で受験者同士の対局、最後の1日で奨励会員との対局が行われました。受験者同士の対局は計6局、奨励会員とは3局を行い、その勝敗で入会の可否が決まります。基準は、その年によって違うようです。私は受験者同士の対戦では4勝2敗でしたが、奨励会員には2連敗してしまい、最後の1局で勝つことができました。
――同じ年に奨励会に入った会員の数はどのくらいなのでしょうか? また、そのなかでどのくらいがプロ棋士になれるものなのでしょうか?
栗尾:例年、10人前後だと言われています。ただ、私が入った年は25人いました。ちなみに、女子はゼロでした。将棋は男女比がかなり偏っているんですよね。「プロ棋士になれるのは奨励会員の2割程度」と言われていて、それは奨励会の審査前にみんな知らされているんです。
将棋との出会いは「米屋兼将棋教室」
プロ棋士になれるのは奨励会員の2割程度
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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