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「吃音のハンデの克服には難関医学部に合格するしかない」吃音を持つ医師が“悩み続けた”半生を告白

吃音のせいで進路や職業の選択肢が狭まる

――大学受験の際も、吃音というハンディを乗り越えて、医師として認められるためには、難関と言われる大学の医学部を目指さなければと 思ったという。 北村:慶應義塾大学医学部は、ペーパーテストの後に、小論文と教授との面接があります。高校1年の時から慶應義塾大学を見据えて、小論文対策などしましたが、面接を考慮して、相当にペーパーで稼がないと、と猛勉強しました。だけど、面接では酷くどもってしまい何も答えられませんでした。面接の時間が、とにかく長く感じました。教授に『合否を面接だけで決めないから安心してください』と言われても、言葉が出ませんでした。 ――無事、慶應義塾大学医学部に合格したが、卒業後に担任の教授から手紙が届き、教授会議で合否をかなりディスカッションされた末だったと知ることになる。学生時代の部活は、アメフト部を希望するも、吃音があるために、部長から、「吃音があり、入部しても、今後、試合に出すわけにはいかない」とのことで、入部拒否された。卒業後の進路の幅も狭かった。 北村:元々、私は外科医志望でした。大学6年時に、内部生は落ちないといわれる研修科の選択でも、外科からは『来てもいいけど、一生、手術はさせない』と言われました。 外科の面接は国家試験の2~3か月ほど前だったのですが、最悪なことに、面接でひどくどもってしまったのです。医師の国家試験を受けるわずか10日前に告げられました。 そのままだと、たとえ国家試験に合格したとしても、医者として働く場所がありません。試験勉強どころではなくなり、選択肢として検討していた、皮膚科や精神科にも相談しましたが、すでに締め切ったと門前払いでした。大学への抗議として、国家試験をボイコットしようか、などとも悩みましたが、小・中・高校時代の白紙答案事件が思い出されました。試験をボイコットしても、自分が損をするだけで、誰にも、何の影響もない。親が悲しむくらいだ、と踏みとどまり、悩んだ末に放射線科の教授に相談したのです。放射線科の教授からは、来てもよいと即答していただき、国家試験後にご挨拶に伺ったところ、内科の教授にも相談してくださり、放射線科と内科が承諾をしてくださることとなりました。

“武器”となった専門医としてのスキル

――卒業後の2年間は「慶應義塾大学病院内科で研修を受けましたが、週に数コマの外来と検査の割り当て以外は、病棟患者をまわったり、文献を読んだり、上司とディスカッションしたりと、ある意味自由な過ごし方が可能でした」という。 北村:私は、超音波検査や気管支鏡、胃カメラ、大腸カメラなど、可能な限り、検査につかせていただいて経験を積み、研修2年目には、大学病院の当直とは別に、大学の関連病院3~4か所の当直を月に20~25回ほど勤務させていたただき、吃音のハンデを、とにかく、技術と経験で補おうと努力しました。内科と放射線科で研修、修練を積ませていただき、総合内科専門医・指導医、消化器内視鏡専門医・指導医、肝臓専門医・指導医、消化器病専門医・指導医、がん治療認定医、放射線診断専門医、核医学専門医、PET核医学認定医、肺がんCT検診認定医、脈管専門医など取得することができ、専門医のライセンスとたたき上げのスキルが私の武器となりました。 ――国家試験の10日前から就職活動をして、受け入れてくれた、内科と放射線科で研修を受けることになるが、ドクターとして働くにあたっても、吃音のハンディは付きまとった。 北村:ドクターになってから3年目の出張の時に、吃音が出ることについて、循環器科の部長に『この身体障害者が!』と言われた時はショックでした。4年目の出張の時には、患者さんの家族から 担当医師を変えて欲しいと言われることもありました。消化器内科の部長が配慮してくださり、部長がバックアップするということで担当継続となりました。そのご家族は、最終的には、すごく満足してくださいました。 勤務先によっては看護師や受付が診察室への呼び込みをするなど配慮がありました。 医者には、臨床と研究の2つの道があります。研究であれば、吃音が関係ないと思われるかも知れませんが、研究をすすめるにあたり、上司や同僚とディスカッションする必要は当然にありますし、研究成果を発表する学会発表もあります。大学からの研修先での病院で、症例報告を初めて口頭発表する際に、上司から緊張ほぐすためにお酒を飲んでから発表したらどうか、と提案されました。地域の病院いくつかが集まっての発表の場で、研究会レベルでしたので、冗談だったのかも知れませんが、私は、真に受けてしまい、発表前に、先輩が準備して渡してくださったウイスキーをストレートで何杯も飲みました。口頭発表時には千鳥足で、呂律も回らない状態となってしまい、発表途中で気を失い、退場となりました。その後、どうなったのか分かりませんが、付き添いの上司が何とかしてくださったようですが、翌日、こっぴどく叱られました。
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“口頭”での学会発表にこだわったワケ
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立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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