大阪・関西万博の後には何が残る?全国に点在する「博覧会とは関係ないような意外な施設」から紐解く。新宿の動く歩道も“博覧会の遺物”だった
いよいよ今年(2025年)4月13日から始まった大阪・関西万博。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに158の国と地域が参加しており、連日多くの来場者で賑わいを見せています。
このような「国際博覧会」は1851年に開催されたロンドン万博が起源で、日本は1867年に開催されたパリ万博から参加しました。明治の時代を迎えると、日本各地で「国内博覧会」も始まり、20世紀に入るとほぼ毎年「全国各地で博覧会が開催される」ようになりました。
そうした「20世紀の博覧会の遺産」で真っ先に連想されるものと言えば、1970年の大阪万博(日本万国博覧会)の会場跡地に設けられた「万博記念公園」と、そのシンボル「太陽の塔」でしょう。また、1975年の沖縄海洋博の会場跡地に設けられた「沖縄海洋博公園」と、博覧会のパビリオンの1つを引き継いだ「沖縄美ら海水族館」(博覧会時の建物は2002年に建て替え済み)を思い出す人も多いかもしれません。
このような博覧会の遺産は全国各地に様々存在し、なかには一見「博覧会とは関係ないような意外な施設」が残され、現在も人々を楽しませ続ける施設や、人知れず生活を支え続ける施設もあります。
今回は、「20世紀に開催された博覧会の遺産」の中から、博覧会の遺物だとはあまり知られていない、少し意外な施設をいくつか紹介していきます。
博覧会といえば、街や会場を見渡すことができる「展望施設」が欠かせなかった時代があります。古くはフランス・パリのシンボル「エッフェル塔」(1889年)や、アメリカ・サンアントニオのシンボル「タワー・オブ・アメリカズ」(1968年)も、もともとは万博のシンボル塔として建てられたものです。また、大阪・関西万博の「木造大屋根リング」もこの展望施設の亜種といえるでしょう。
博覧会の展望施設の多くは博覧会終了後にある程度残されたのちに解体されたり、内部に入れなくなってしまうものも少なくありません。「大阪万博(1970年)」の「エキスポタワー」(1970年~1990年/2003年解体)や「国際花と緑の博覧会(大阪花博)」の「いのちの塔」(1990年~2010年/建物は現存)、「’90長崎旅博覧会」の「スカイタワー」(1990年~1996年/1999年解体)などがその例です。
また、かつて日本最高層の展望タワーであり、関東大震災で損壊した「浅草凌雲閣」(1890年~1923年倒壊)も、博覧会と直接関係があるわけではありませんが、1890年に上野公園で開催された「第3回内国勧業博覧会」に合わせて建設されたものだといわれています。
一方で、もともと博覧会の目玉アトラクション・パビリオンの1つでありながら、今や「博覧会のシンボルだった」ことさえあまり知られていない展望施設も少なくありません。その最も代表的な例が、横浜市・みなとみらい21エリアにある大観覧車「コスモクロック21」でしょう。
コスモクロック21がある遊園地「よこはまコスモワールド」は1989年に開催された「横浜博覧会 YES’89」のパビリオン「コスモワールド 子供共和国」を前身としており、コスモクロック21はそのアトラクションの1つで、博覧会のシンボルとして設けられた展望施設でした。全高107.5メートルは当時世界一であり、ギネス・ワールドレコーズにも登録されています。
当初はコスモワールド・コスモクロック21ともに博覧会終了とともに営業終了が予定されていましたが、人気が高かったため当面運営を継続することになりました。その後、コスモワールドはみなとみらい21エリアの発展もあり、恒久的に残すべく1990年代後半に大規模リニューアル。遊園地は拡張され、観覧車も博覧会当時の場所よりも海側に移設され、さらには全高が112.5メートルに嵩上げされました。2021年には桜木町駅からコスモワールド近くまで都市型ロープウェイ「ヨコハマエアキャビン」が開業し、現在もみなとみらい観光の目玉施設として多くの人々を楽しませ続けています。
このほか、福岡市のシーサイドももちにあるシンボルタワー「福岡タワー」は、1989年に開催された「アジア太平洋博覧会福岡’89 よかトピア」のシンボルとして建てられました。こちらは当初から恒久的に残される計画であり、さらにパビリオンのうち「テーマ館」はいわゆる「金印」が展示されることでも知られる「福岡市博物館」として、海上パビリオン「マリゾン」は結婚式場や飲食店、フェリー乗り場などが入居する複合港湾施設として、21世紀になった現在も活用されています。現在ではマリゾンで挙式を挙げる人々の多くは、よかトピアを知らない世代であると思われます。
今回の大阪・関西万博では、インド館(バラート館)のように「開幕後もなかなか開館しないパビリオン」が話題となりました。このような「開館が遅れるパビリオン」は博覧会では珍しくないのですが、中には完成が「閉幕の10日前」でありながら、その後半世紀以上も多くの観光客を迎え入れている「元・博覧会の目玉パビリオン」が存在します。それが、大分県別府市の中心部にある「別府タワー」です。
別府タワーの建設のきっかけとなったのは、1957年に別府市内で開催された「別府温泉観光産業大博覧会」です。このタワーは博覧会の目玉として、メイン会場(別府市野口原の進駐軍跡地、現:野口原総合運動場など)から約2km離れた別府湾沿いの埋め立て地に建設されました。高さは100メートルで、名古屋テレビ塔・通天閣・さっぽろテレビ塔・東京タワー・博多ポートタワー(完成順)を設計した「塔博士」内藤多仲氏が設計したものです。このタワーは高さこそ低いものの、「東京タワーの兄貴分」に相当します。
もちろん、この別府タワーも恒久的に残される計画で建設されたもので、当初は大分県初のテレビ電波送信所として使用されることが計画されていたため、「別府観光センターテレビ塔」という名称が付けられていました。(当時、大分県内にはテレビ放送の送信所がなく、周辺県の電波を受信していました。)
「別府温泉観光産業大博覧会」は予定通り1957年3月20日に開幕し、会期は2ヶ月間でした。しかし、目玉だったはずのタワーの完成は大幅に遅れ、開業は博覧会終了のわずか10日前である5月10日までずれ込んでしまいました。
その後、1959年に別の場所にテレビ送信所が建設されたため、テレビ塔として使用されることはなく、1961年には「別府タワー」と名称を改めました。一方で、当時は別府を訪れる観光客の多くが海路を利用していたこともあり、博覧会のシンボルはやがて別府温泉のシンボルとして広く認知されるようになりました。
現在、別府タワー館内には展望台のほか、ミュージックカフェ、アートミュージアム、カラオケ店などが入居しており、2023年には全面リニューアルが実施され、完成から70年近く経った現在も観光客や地域住民に親しまれています。

「20世紀の博覧会の遺産」の代表格である「太陽の塔」。実はこうした博覧会の遺産は全国各地に存在する(写真:若杉優貴)
有名絶景スポットも「博覧会のシンボル」だった

みなとみらいのシンボルである観覧車「コスモクロック21」。もともと博覧会のパビリオンの1つだった(写真:若杉優貴)
完成は閉幕直前だった!70年前の「遅れて完成したパビリオン」が温泉街のシンボルに

福岡タワーや福岡市博物館、マリゾンも博覧会からの贈り物といえる(写真:若杉優貴)

2023年にリニューアルされた別府タワー。季節やイベントごとに様々なライトアップが行われています。約70年前の「遅れに遅れたパビリオン」は温泉街の象徴となった(写真:若杉優貴)
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『都市商業研究所』。Webサイト「都商研ニュース」では、研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」の動きを分かりやすく解説している。Twitter:@toshouken
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