ザ・リングマスターは未完のプロジェクト――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第203回(1995年編)
スティーブ・オースチンがWWEと正式契約を交わしたのは1995年12月。
オースチンはテキサス州ダラスで“ジェントルマン”クリス・アダムスからレスリングの指導を受け、1989年12月、ダラスWCCWとテネシーUSWAが合併した直後のダラスUSWA(ジェリー・ジャレット代表)でデビューした。
1991年5月、WCWのエグゼクティブ・プロデューサーだったダスティ・ローデスのブッキングで同団体と契約。WCWには約4年間在籍したが、1995年6月、日本をツアー中(新日本プロレス)に上腕三頭筋を負傷し故障者リスト入り。そのままWCWを解雇された。オースチンをクビにしたのはエリック・ビショフ副社長(当時)だった。
フリーエージェントとなったオースチンは、ポール・ヘイメンECWプロデューサーの誘いでフィラデルフィアのインディー団体ECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング)にやって来た。
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