更新日:2017年11月30日 14:57
スポーツ

ビンスの不安と“複数スター制”の混とん――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第206回(1996年編)

WWEオフィシャル・マガジン表紙

ブレット・ハート、ディーゼル、ショーン・マイケルズ、アンダーテイカー、レーザー・ラモンらが横一線に並んだ“複数スター制”(写真はWWEオフィシャル・マガジン表紙より)

 WWEは混とんの時代を迎えようとしてしていた。ライバル団体のWCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)が1995年9月から全米生中継をスタートさせた新番組は“月曜TVウォーズ”というまったく新しい局面を生んだ。  WWEの“マンデーナイト・ロウMonday Night RAW”(USAネットワーク=ケーブル)とWCWの“マンデー・ナイトロMonday Nitro”(TNTターナー・ネットワーク・テレビジョン=ケーブル)。タイトルもコンセプトもそっくりなふたつのTVショーが毎週月曜夜のプライムタイムにふたつのチャンネルで同時にオンエアされているというシチュエーションは、マスメディアと一般のテレビ視聴者層にプロレス・ブームの“再来”を印象づけた。  WWEが“ロウ”を毎週月曜夜の1時間番組として放映開始したのは1993年1月。WCWが後発の“ナイトロ”をわざわざ同曜日・同時刻の裏番組にぶつけてきたことで、毎週月曜夜のプライムタイムは“プロレスの夜”になった。テレビ業界のセオリーでは月曜の夜は1週間のなかでいちばん“在宅率”の高い曜日で、視聴率の稼ぎやすいタイムゾーンとされている。
次のページ right-delta
ビンスにとってやっかいだったのは…
1
2
3
おすすめ記事