ミック・フォーリー インタビューPART1 デスマッチの精神性――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第215回(1996年編)
1990年代前半、日本とアメリカのインディー・シーンで“デスマッチ王The King of Death Match”の異名をとどろかせたミック・フォーリー――当時のリングネームはカクタス・ジャック――がWWEと契約を交わしたのは1996年1月。フォーリー自身がデスマッチの精神性について語った、いまから21年まえのインタビューを再編集しておとどけする。(1995年9月取材)
――ご家族はあなたの“デスマッチ癖”をどうお考えなのですか?
「画びょうデスマッチとか、有刺鉄線ボード・マッチとか、そういう試合のビデオはなるべくみせないようにしている。わたしが家にいないときは、おふくろがよくテレビ番組を録画しておいてくれるんだが、まあ、子ども向けの番組なんかだけどね、『ECWもいっしょに録っておこうか』といわれても、友だちがやってくれるからいいよ、といって断ることにしている。だから、日本の試合なんかなおさらみせられない。わたしの体に刻まれた無数の傷跡が十分に家族を苦しめているのだからね。それだけでバッド・イナフさ」
――やはり、ケガは家族を苦しめているのですね。
「川崎スタジアムでの試合(1995年8月20日)を終えて帰ってきたときは、親父がわたしをケネディ空港まで迎えに来た。“デスマッチ・トーナメント”のすぐあとだよ。わたしは、まずこの腕の傷をどうやって隠すかを必死になって考えた。家に着くと、リビングルームに入るなりワイフのコーレットがこうつぶやいたんだ。『なんか焦げ臭くない? 変ね、なにかしら』とね。火傷のことなんか知らないはずなのにね。父親が帰ったあと、わたしは彼女に焼けただれた右腕をそおっとみせた」
――“ざんげ”のようですね。
「わたしのいちばんの強みはヒーリング・パワー(治癒力)だ。この火傷だってきっと2、3カ月で癒えてしまうよ。ニューヨークあたりでは、わざわざ高い手術代を払って整形外科でスキン・リムーブメントをしてもらう人たちだっているんだから、皮膚が剥けたくらいどうってことない。このくらいの火傷ならすぐ治る」
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