更新日:2022年08月31日 00:40
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ダニー・クロファットはフレンチ・カナディアン――フミ斎藤のプロレス読本#036【全日本プロレスgaijin編エピソード6】

ダニー・クロファットはフレンチ・カナディアン――フミ斎藤のプロレス読本#036【全日本プロレスgaijin編エピソード6】

『フミ斎藤のプロレス読本』#036 全日本プロレスgaijin編エピソード6は「ダニー・クロファットはフレンチ・カナディアン」の巻。D・クロファットの本名はフィリップ・ラファン。仲のいい友だちはフィルと呼んでいる。フィルはモントリオール生まれのフレンチ・カナディアンなのだ(Photo Credit: Fumi Saito)

 199X年  フィリップ・ラファン――これがダニー・クロファットの本名だ。仲のいい友だちからはフィルと呼ばれている。  クロファットという名を使いはじめて5、6年になる。はじめのうちはあんまりいい響きだとは思わなかった。どうしてかというと、他人が勝手につけたリングネームだったからだ。  ある日、モントリオールの試合会場でなにげなくパンフレットに目をとおしたら、知らないうちに自分の名前が“ダニー・クロファット”にされていた。マッチメーカーをしていたリック・マーテルの仕業だった。  それまで名乗っていたフィル・ラファイアーというリングネームは、あまりにもフランス人の香りが強すぎる。マーテルだ、ブラボーだ、ルージョーだと、このテリトリーはフレンチだらけだから、もっとウェスタン・カナディアンの色がほしい。 「きょうからキミはカルガリー出身のダニー・クロファットだからね」とマーテルはフィルに告げた。東カナダと西カナダは異なるふたつの文化圏、というのがごく一般的なカナダ人の認識である。  カナダ・ケベック州モントリオールは、もともとフランス領だった土地だから公用語はフランス語で、テレビや新聞や雑誌は基本的に英語とフランス語のバイリンガル(2カ国語表記)。学校の授業はフランス語で、友だちとの会話は英語だったりする。  この街の人びとは子どものころから自然にふたつの言語をしゃべっているから、10代になるころにはフランス語と英語の2カ国語を話すようになるが、フランス語がネイティブの家庭で育った人たちはフランス語アクセントの英語、英語がネイティブな家庭で育った人たちは英語アクセントのフランス語をあやつる。  フランスから来たフランス人がモントリオールの人びとが話すフランス語を聞くと、それはケベック方言のフランス語で、その反対にモントリオールの人びとがフランス人が話すフランス語を聞くと、それはヨーロッパの標準語のフランス語に聞こえるのだという。  また、モントリオールの人びとだけが使う、ケベック方言のフランス語とフランス語なまりの英語がごちゃまぜになったスラング的なローカル・ランゲージもある。  プロレスの世界においても、フレンチ・カナディアンの白人人口が多いモントリオールでは、ドレッシングルームでの会話はだいたいの場合、フランス語で交わされる。  リック・マーテルやディノ・ブラボーやジャック&レイモンドのルージョー兄弟らがフランス語で怒鳴りあっている光景は、アメリカ人レスラーの目にはやや奇異なものに映るらしい。  まだデビューしたての新人だったころのトム・ジンクはモントリオールで修行を積んだが、このフランス語のののしり合いを毎晩のように聞かされているうちに、自分に対する批判がフランス語で変換されているのではないかと疑心暗鬼になったという。  ダニー・クロファットに改名させられたフィルは、ある日、そのジンクとタッグを組むことになった。「カルガリーとミネアポリスのコンビはきっといいベビーフェースになる」とマーテルは自信ありげに語った。  フィルにはその意味がよくわからなかったが、そのへんはあまり深く考えないことにした。プロレスラーとしてデビューしてから4年が経過しようとしていた。  フィルの家は、父と兄の3人家族。父ギイさんはランバージャック、兄フェデリックさんも肉体労働者。典型的なブルーカラー・ファミリーとして育った。  ギイさんは若いころはプロのサッカー選手で、19歳のときにパリからモントリオールに引っ越してきた。フィルの両親は、フィルがまだ幼いころに離婚した。  ギイはふたりの息子たちにスポーツをさせた。フィルは中学、高校とアイスホッケーで活躍した。ホッケーは氷上の格闘技といわれ、よくゲーム中の乱闘で前歯を折ったり、鼻を折ったりした。  学校の外ではよくケンカもした。そのせいでハイスクールを2校も退学になり、最後は規律の厳しい私立のミッション系スクールに通わされた。  高校を出てからがまたひどかった。大学にも行かず、仕事もせず、あまりいい表現ではないけれど、いわゆるプータローの生活をしていた。趣味はウエートトレーニングと空手だけだった。残った時間は、地元の不良たちといっしょに過ごした。
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ある日、ギイさんが500ドルを渡してきた
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