ビル・ロビンソン “人間風車”のレスリングの旅――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第34話>
プロレスラーというよりは、レスリングの求道者といったほうがいいかもしれない。
少年時代から学んだランカシャー式レスリングの延長線上にプロフェッショナル・レスリングがあって、実戦としてのレスリングをつづけているうちに、気がついたらプロレスに人生を捧げていたということなのだろう。
ヨーロッパ―日本―カナダ―アメリカ―メキシコで通算28年間にわたりプロレスラーとして活動し、引退後はキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・レスリングの指導と研究をつづけた。
ビル・ロビンソンがイギリス・ウィガンのビリー・ライレー・ジム“スネークピット=蛇の穴”でキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを習いはじめたのは15歳のときだった。
道場主ビリー・ライレーBilly Rileyのモットーは“学ぶことを学べLearn how to learn”で、練習メニューはあくまでもスパーリングが中心だったという。
現在のプロレスのルーツにあたるレスリングは、中世以降にヨーロッパのイギリス語圏とフランス語圏で大きな発展をとげた。
イギリスには大きく分けて4種類から5種類のレスリング――これをどう分類するかは民俗学の領域とされる――が存在した。カンバーランド・スタイル、ウエストモーラン・スタイル、デボンジャー・スタイル、コーニッシュ・スタイル、そして、ランカシャー・スタイルがその5つの源流である。
正面から相手と組み合い、相手を投げ、仰向けに押し倒してフォールを奪うのが基本的な勝負のつけ方――ヒザが地面についたらその場で負けとするスタイルも存在した――というのがイギリス式レスリングのルールだった。
このイギリス式のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが、現在のアマチュア・レスリングのフリースタイルの原形になった。
アマチュア・レスリングの世界共通のもうひとつのスタイルであるグレコローマンは19世紀になってからフランスで考案されたもので、スポーツ競技としての歴史はじつはそれほど古くない。
スタンディングの闘いこそ紳士的(男性的)な闘い方で、地べたをはいつくばりながら闘う行為は下品というフランス流の考え方がその根底にあったとされる。
近代レスリングのルーツにも“英仏百年戦争”からつづくイギリスとフランスのいがみ合いの歴史が大きく影を落としている。
ロビンソンが生涯の学習としたキャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、ランカシャー・スタイルのもっとも実戦的なフォームとされる。
ここでいう実戦的とは、いかなるスタイルのレスリング=格闘技との闘いにも対応できるひとつの型のようなものを指す。
“なんでもあり”の闘いでは、最終的にはサブミション(関節技)がギブアップ=戦意喪失の意思表示を導きだすという結論はいまも昔も同じということなのだろう。
ロビンソンの少年時代、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンを教える町道場がイギリスじゅうにあったという。
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