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ビル・ロビンソン “人間風車”のレスリングの旅――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第34話>



 アメリカのグリーンカード(永住権)を取得したロビンソンは、引退後はミネアポリスでコンビニエンス・ストアの店長、ラスベガスでホテルのガードマンといった仕事についたが、1992年にルー・テーズの推薦でUWFインターナショナルの専任コーチに就任。

 テネシー州ナッシュビルのUインター米道場でビリー・スコット、ジーン・ライディックといった“U仕様”のアメリカ人レスラーを育て、東京・世田谷の道場では田村潔司、桜庭和志、高山善廣らをコーチした。

 ロビンソンのレスリングの旅にはまだつづきがあった。国際プロレスの強化コーチとして東京でアパート暮らしをしてから30年という歳月が過ぎようとしていた。

 元Uインター所属のプロレスラーだった宮戸優光が東京・高円寺にレスリング道場“UWFスネークピット・ジャパン”をオープンし(1999年=平成11年3月)、ロビンソンにヘッドコーチ就任を依頼した。

 小学生のときに猪木対ロビンソンの試合を観てプロレスを志した宮戸は、なにがなんでもロビンソンに日本に来てもらい、ホンモノのキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを教えてもらおうと考えた。

 60歳(当時)のロビンソンは、大きなスーツケースを2つだけ持って日本に引っ越してきて、東京・高円寺の1LDKでひとり暮らしをしながら約10年間、レスリング道場のコーチとしての生活を送った。

 道場にはプロレスラー志望の若者だけでなく、子どもからおとなまでさまざまな年齢層の練習生がやって来た。

 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンは“教則本”が存在しないイングランドのフォーク・レスリングである。ロビンソンは「毎日、新しい発見がある」といってほほ笑んだ。

 イギリス・ウィガンの“スネークピット=蛇の穴”秘伝のランカシャー式レスリングは、ロビンソンを“生きた教科書”として武道の国ニッポンに伝わったのである。

●PROFILE:ビル・ロビンソンBill Robinson
1938年9月18日、イギリス・マンチェスター出身。15歳でビリー・ライレー・ジム“蛇の穴”に入門。1957年、19歳でデビュー。1968年、初来日。日本では国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの3団体で活躍した。得意技はダブルアーム・スープレックスとワンハンド・バックブリーカー。ニックネームは“人間風車”。AWA世界タッグ王座(通算3回)、世界ヘビー級王座(サンアントニオ版、カナダ・モントリオール版)、CWA世界ヘビー級王座(テネシー)などを保持。1985年、引退。2014年3月3日(死亡推定日は2月27日)、アーカンソー州リトルロックの自宅で死去。75歳だった。

※文中敬称略
※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦

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