更新日:2022年12月17日 22:52
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都内の首都高がついに完成。公害問題、バブル崩壊を乗り越えた軌跡を振り返る

 写真の後ろに見えているのは、首都高板橋―熊野町JCT間の拡幅区間(4車線化)。橋脚が2本並んでいるのは、もともと間にあった当初の幅狭の橋脚を撤去して拡幅を実現したため。これを見て「よくぞやってくれました!」と感動に肩を震わせ涙を流すのはオレだけか!? それでもいい。首都高の渋滞が減るならば! 首都高X MJブロンディ改め永福ランプ=文 Text by Shimizu Souichi

最初の開通から56年……渋滞はかつての5分の1に!

 首都高は、世界初の都市高速道路網。これは日本人の発明である。高速道路の下町ボブスレーとでも申しましょうか?  首都高は、前回の東京オリンピック開催決定(1959年)をロケット推進剤として建設が始まり、今年で初開通から56年! 私と同い年です。それだけで涙が出る。
首都高X

「オリンピックまでに」を合言葉に建設が進められた首都高。モータリゼーションの波もすぐそこに

 首都高と言えば渋滞だが、首都高の自然渋滞が始まったのは、初開通から6年後(1968年)、場所は浜崎橋JCTだったそうな。私が免許を取った1980年には、すでにメチャメチャ渋滞しておりました。なにせ都心環状線に放射線が8本も合流してくるんだから当然だ。設計した山田正男さん(東京都建設局長)は、1966年に外環道を計画し交通を逃がすつもりだったが、公害問題で頓挫。以来首都高は、ニッポンの渋滞を一手に引き受けるような形になってしまったのです。渋滞のピークはバブル期の1990年でした。  バブルが去って早28年。現在首都高の渋滞は、ピーク時の5分の1程度にまで減っている。相変わらず平日夕方の渋滞はひどいけど、昔に比べればパラダイス!  なぜこれほど渋滞が減ったか?  三環状の整備や、ボトルネック対策が進んだからである。  三環状とは、首都高C2(中央環状線)、外環道、圏央道のこと。C2は2015年に全線開通し、圏央道も現在約9割が完成。建設が遅れている外環道も、千葉県区間(三郷南―高谷JCT間)が今年6月に開通する予定になっている。 首都高X
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【建設中当時のC2品川線】首都高の渋滞緩和に絶大な威力を発揮したのが2015年3月のC2品川線の開通だ。ほぼ全線シールドトンネル構造で建設には約4000億円を要したが都心部の渋滞は半減した

 この2月から3月にかけては、首都高C2のボトルネック区間だった小菅―堀切間と板橋―熊野町間の拡幅が完成し、晴海線延伸部(豊洲―晴海間)も開通。東京都内の首都高の建設がほぼ終了したのであります(小松川JCTが建設中なれど渋滞緩和効果はないので無視)。首都高全体で見ると、横浜環状北西線(神奈川県)と新大宮上尾道路(埼玉県)が建設中だが、都内はこれで完成と言っていい。当初東京都が中心になって始まった首都高の建設が、ある意味大団円を迎えました……。 首都高X
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【板橋―熊野町JCT拡幅】5号線とC2が重複するのに3車線という欠陥構造だったのは小菅―堀切JCT間と同じ。サンドイッチ工法により交通を確保したまま橋脚を新設する新技術が採用され拡幅を実現した

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ボトルネック区間の拡幅完成に感慨
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1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中

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