中日ドラゴンズ名勝負ベスト5。星野&落合の黄金期を懐かしむ
改元をまたいだ2019年プロ野球シーズン。令和最初の栄冠のゆくえはまだ予測できないが…その前に、各球団の「平成の名勝負」を振り返ってみたい。まずは、長らく低迷が続く中日ドラゴンズから(筆者がファンなのである、悪しからず)。
かつて5度のセ・リーグ優勝と1度の日本シリーズ制覇を成し遂げた中日ドラゴンズ。中でも落合博満監督が率いた04年~11年の8年間は毎年のように、読売ジャイアンツと激しい優勝争いを展開していた。
そんな中日の勝ち試合“名勝負5番”を年代順に独断と偏見でセレクトしてみた。
9回表を終わって0-3と巨人にリードされていた中日。さらに、巨人の先発・若きエース斎藤雅樹の前に8回までに出塁したランナーは四球と相手エラーの2人だけという、ノーヒットノーラン投球を許していた。残された9回裏の攻撃。夏休みで大勢のファンが詰め掛けた本拠地・ナゴヤ球場での不名誉な記録をなんとかして阻止しようとするも、先頭打者・中村武志が三振し、あと2人。この窮地の場面で中日の星野仙一監督は、この日1軍に昇格したばかりの音重鎮を代打に起用する。
そしてここから中日奇跡のドラマが始まった。音が斎藤から初ヒットを記録したのだ。2死後に2番の川又米一が四球を選ぶ。続く3番・仁村徹は甘くなった直球を適時打し、斎藤の完封も阻止。試合の流れは完全に中日に傾きつつあった。
ここで打席には4番・落合博満。相手バッテリーの強気な直球勝負を読んだ落合のバットが一閃すると、打球は奇跡の弧を描き、ドラゴンズファンが埋め尽くすライトスタンドへと飛び込むサヨナラ3ラン。斎藤を天国から地獄へと突き落とした大逆転劇の完成であった。
この試合,中日は読売ジャイアンツの猛攻の前に7回表を終わって0-8と大量リード。もはや敗北は決定的であった。それでも7回裏に4番・落合博満の一発でようやく1点を挙げ、完封だけはまぬがれた形と思われた。
だが、8回裏。中日が怒濤の逆襲を見せる。1死満塁のチャンスを作ると3番・ライアルがヒットし、まず2点を返した。ここで巨人は先発の槇原寛己から木田優夫にスイッチするが、木田のコントロールが定まらない。4番・落合と5番・川又米利が連続四球を選び、押し出しで4-8とし、なおも満塁とチャンスが続いていた。
ここで中日の星野仙一監督は代打に中村武志を指名。この中村が大仕事をやってのける。なんとレフトスタンドへ飛び込む奇跡の同点満塁本塁打を放ったのだ。試合はまさかの同点となり、そのまま延長戦へ。
その10回裏だった。巨人のリリーフ・水野雄仁からまたも中村がレフトスタンドへ。終盤0-8からの大逆転サヨナラ劇は今なお中日ファンの中で伝説となっている。
マジック1として乗り込んだ神宮球場は適地にも関わらずそのほとんどが中日ファンで埋め尽くされていた。試合は3回裏に古田敦也の本塁打などでヤクルトに4点を先制されるも、大勢の中日ファンの大声援の後押しもあり、すかさず反撃を開始。4回表に2点を返すと、6回にも1点、さらに7回にも1点を挙げ、ついに同点に。
そしてこの7回表の攻撃中にマジック対象チームである巨人敗戦の報が飛び込んできた。これによって逆に“負けて胴上げ”は許されない雰囲気となる。そして闘将・星野仙一監督の「絶対に勝て!」というハッパに応えるように8回表に5-4とついに勝ち越し。
迎えた9回裏、中日のマウンドは守護神・宣銅烈。ヤクルトも2死一、二塁と粘り打席には本塁打王のペタジーニ。だが、最後はセカンドフライに仕留め、これを名手・立浪和義が掴んで試合終了。ついに昭和最後となる1988年以来、11年ぶりの優勝を果たしたのである。この2年半前に病気で扶沙子夫人を亡くしていた星野監督はその瞬間に男泣き。そして神宮の夜空に7度、舞った。
ノーヒットノーラン負け寸前で飛び出した大逆転サヨナラホームラン! 1989年8月12日 対読売ジャイアンツ戦(4-3)
0-8からの大逆転劇を呼び込んだ中村武志の同点満塁弾&サヨナラ弾!! 1991年7月19日 対読売ジャイアンツ戦(9-8)
4点差を逆転し、11年ぶり平成初のリーグ優勝決定! 1999年9月30日 対ヤクルトスワローズ戦(5-4)
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