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プロ野球、年俸6億円台は過去に何人いた? 現年俸3500万円の選手も

 メジャーリーグから古巣・東北楽天ゴールデンイーグルスに電撃復帰した田中将大。その年俸は9億円プラス出来高(金額は以下推定)となり、日本人選手としてはプロ野球史上歴代最高額となった。これに続くのが、1億5000万円アップの8億円で残留した読売ジャイアンツの菅野智之である。
 そしてこの田中と菅野に続く日本人選手の高額年俸は6億円台なのだ。その顔触れを到達順にご紹介しよう。

松井秀喜(読売ジャイアンツ)2002年

エキストラ・イニングス――僕の野球論

エキストラ・イニングス――僕の野球論(文藝春秋)

 ’96年オフの契約更改の際、年俸1億6000万円で一発サインした松井秀喜。高卒選手ではイチロー(元・オリックスなど)と並ぶ史上最短(当時)の入団4年目で1億円プレーヤーの仲間入りを果たしたのだが、そこから当時、日本プロ野球史上初の6億円プレイヤーになるまでわずか5年しかかからなかった。  ’01年の年俸はすでに当時球界最高の5億円だったが、その’01年シーズンで打率3割3分3厘、36本塁打、104打点をマークしたことで、オフの契約更改では当時のプロ野球史上最高額を更新する年俸6億1000万でサインすることとなったのである。  結果的にこの翌年のシーズンオフに松井はFA権を行使してニューヨーク・ヤンキースに移籍したため、この6億1000万円がNPB時代の最高年俸となった。なお、MLB時代の最高年俸はヤンキースに在籍した’06~’09年にかけての約13億円である。

佐々木主浩(横浜ベイスターズ)2004~05年

 田中将大が9億、菅野智之が8億で契約を結ぶまでの日本球界投手最高年俸の記録保持者だったのが佐々木主浩だ。といっても’99年オフにメジャーへ移籍したときの年俸は、プロ野球史上初となる5億円であったが、6億には届いていなかった。日本球界で佐々木の年俸が6億を突破したのはMLBから戻ってきてからである。  ’04年2月に古巣・横浜ベイスターズ(現・横浜DeNA)と2年総額13億円で契約に合意(もっとも、メジャー最終年の年俸は8億円越えと、日本時代を上回っていた)したのだが、これは単年にすると6億5000万円となり、当時の日本プロ野球の日本人選手歴代トップの年俸となったのであった。  だが、その2年間で登板わずか34試合、23セーブに留まるなど、往年の“大魔神”の姿はなく、’05年シーズン限りで現役を引退している。
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最高年俸6億から3500万円になった選手は…
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