NHK朝ドラ『おちょやん』。主人公のモデルはドラマ以上に“壮絶人生”だった?
女優・杉咲花が主演を務めるNHK朝の連続テレビ小説『おちょやん』。本作は大正から昭和にかけて活躍し、上方女優の代名詞とも言われた浪花千栄子をモデルに、ヒロイン・竹井千代の波瀾万丈な半生を描いた一作で、杉咲演じる竹井千代は子供のころから苦労しっぱなし。まさに“山あり谷あり”の人生を送っている。
浪花千栄子が2代目渋谷天外と結婚したのは’30年(昭和5年)のこと。その直前に天外と曾我廼家十吾(上方の喜劇役者で喜劇作家。『おちょやん』では星田英利が演じている須賀廼家千之助がこれに当たる)らが旗揚げしていた松竹家庭劇に加わっている。結婚後は座長の妻として、かげひなたなく座員たちの面倒を見ながら、他の女優が嫌がるような端役を率先して引き受けるなど、一座のために尽くしてきた。
太平洋戦争終了後の’46年(昭和21年)に天外が周囲の反対を押し切り、松竹家庭劇を脱退。自分の劇団である“すぃーと・ほーむ”を旗揚げしたときも、迷うことなく行動をともにしている。
その後、’48年(昭和23年)11月に天外は松竹に呼び戻される形で復帰。翌12月には松竹新喜劇が結成された。こうして千栄子も松竹新喜劇の看板女優として活躍することとなった。
ところが、仕事が順調になりつつあるなか、とんでもない事態が発覚してしまう。自身が可愛がっていた新人女優の九重京子と夫が不倫していたのである。
さらにこの2人の間に子供まで生まれてしまった。当然、夫とは離婚し、松竹新喜劇も退団するハメになるのである。’51年(昭和26年)のことであった。
松竹新喜劇を退団した千栄子は、誰にも何も言わずに芸能界から身を身を引いてしまった。さらに行方までもが分からなくなってしまう。それでも昭和の人気漫才師のエンタツ・アチャコの花菱アチャコから共演を希望されたことで、NHK大阪放送局の当時のプロデューサー・富久進次郎が必死になって千栄子を捜索したのである。
この富久に請われた千栄子は’52年(昭和27年)にNHKラジオのコメディドラマ『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役として出演し、見事に芸能界復帰を果たすことに。そして、ここから彼女の落ちぶれていた人生が一変していく。花菱アチャコとはこのあとも『アチャコほろにが物語 波を枕に』と『お父さんはお人好し』でも共演し、特に後者は長寿番組となった。さらにはシリーズものとして映画化までされたのである。
さらに’53年(昭和28年)公開の溝口健二監督の映画『祇園囃子』では茶屋の女将を演じ、ブルーリボン賞助演女優賞を受賞している。これ以降、実力派の名監督に重用されるようになり、映画やドラマに欠かせない名脇役として活躍していく。こうしてようやく人気女優への道が開かれたのである。
そんな千代は3月頭に放送された第13週“一人やあれへん”で成田凌演じる喜劇界のプリンス・天海一平と結婚した。ついに幸せな瞬間が巡ってきた感じで、この先二人は二人三脚で奮闘していく展開となっている。
千代のモデルとなった浪花千栄子も、天海一平のモデルである2代目渋谷天外(やはり上方を代表する喜劇俳優で劇作家)と実際に結婚しているが、その結婚後は……というと、ドラマとは真逆であろう壮絶な人生が続いていた。そこで今回は、実在の浪花千栄子が結婚後に見舞われた人生の激動3選をご紹介したいと思う。
座長の妻として献身的に尽くしたものの……
行方知れずになるも、奇跡の復帰で人生が一変
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