<純烈物語>「紅白」と言っていられない現実の中で、リーダー酒井がファンに伝えたいこと<第41回>
<第41回>「紅白」と言っていられない現実の中で――人として生き抜くために「愛をください」
3度目の紅白歌合戦出場を懸けたニューシングル『愛をください~Don’t you cry~』がリリースされたのは、2月26日。最後にオーディエンスの前でライブをやった前日である。つまり、ここから新曲の売り出しに向けて本腰を……というタイミングで、純烈はコロナ禍に巻き込まれた。
通常は発売日前から“小出し”にプロモーションを続け、キャンペーンでは2コーラス分歌うなどして自分たちも慣れていく。日頃より世話になっているNHKの看板番組『うたコン』で振り付けを含めたヴァージョンを初披露するところから逆算し、完成度を高めるはずだった。
ところが相次ぐライブとイベントの中止により、ぶっつけ本番で無観客のNHKホールへ臨むことを余儀なくされる。3月16日、メンバーの4人は本来コンサートを開催する予定だった東京お台場大江戸温泉物語からインスタライブを配信。持ち前のトーク力で、会いたくても会えずにいるファンを楽しませた。
うたコンの収録は翌日。数えるほどのオーディエンスしかいない前で歌った経験を持つ純烈も、さすがに公開形式での無観客ライブは初めてだった。
「キャンペーンで歌うのはCDのプロモーションももちろんだけど、新曲を人前でやることの度胸づけや、狭いステージにおけるミニマムな形でもできるようになるための場でもあるんです。それが今回はそうした“叩き”ができないままステージへ立つことになった。コロナの件がなければ3月だけでも30回ぐらいできたことがやれなかったから、その影響は大きいですよね。
何より、叩きなしでやったらお客さんのエネルギーに負けてしまうんです。本来ならば負け戦だったのが、今回は無観客だからそういうシチュエーションではなかったことで僕らは助かった。むしろ、カメラの向こうにいる視聴者の皆さんに何かを伝えようとする姿勢でとらえてもらえたので、いいテイクになったと思っています」
酒井一圭の言葉から、たとえ1ステージ1曲であっても段階を踏まなければ完成まで持っていけないことがわかる。それをカヴァーしたのが、この状況下において視界にはいない不特定多数のオーディエンスに対する自分たちの意識だった。
もちろんそれは純烈だけの姿勢ではない。2月25日放送分より、うたコンは無観客中継を続けていたものの出演者もスタッフもまだぎこちなかった。客席からのリアクションが望めぬ状況で歌い、番組を進めるとなれば勝手も違ってくる。
加えてこの日は当初、大阪の会場でおこない制作される予定だったため、そのスタッフが東京まで出張してきての収録となりよけい大変だったはず。それでも「沈んだ空気の中でちょっとした何かになりたいという熱量が、紅白の現場並みにあった」と酒井は言う。
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
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