高貴なる実験「禁酒法」の失敗。自由に酒が飲めないと人はどうなるのか?
1987年に公開された映画『アンタッチャブル』では、ケビン・コスナー扮するアメリカの捜査官とロバート・デニーロ扮するギャングのアル・カポネの激しい戦いが描かれています。この映画の舞台になったのが、今から100年前、禁酒法時代のシカゴです。名称からして酒飲みは恐怖を覚えてしまいますが、今回は、この禁酒法について紹介します。
アメリカの禁酒法は、1920年から1933年まで実施された、お酒の製造や販売、流通を禁止する法律です。その前から一部の人たちによる禁酒運動はあったのですが、第一次世界大戦を経てその運動が過激化し、1919年1月に憲法修正18条が追加されました。その後、細かい内容を定めた法律も追加され、1920年1月から施行されたのです。
何よりも自由を求めるアメリカ国民がおとなしく言うことを聞くわけがありません。法律は自宅での所有・飲酒そのものは禁止していませんでした。施行までに1年の猶予があったので、資産と保管場所を持っている人たちは大量に買い占めました。
禁酒法が施行されても、人々はお酒を求めました。まずはドラッグストアです。医師が処方箋を書けば、医薬品としてお酒を購入できたのです。当然、人々は殺到し、ドラッグストアは売り上げを伸ばしました。
当然ですが、買いだめと薬局だけでは低所得者層を含む全員分をまかなうことはできません。密造と密輸が活発になりました。
需要がとても高いので、質の悪い密造酒がたくさん造られました。下手をすれば、工業用アルコールを薄めたジンまで出回り、健康被害も引き起こしたのです。
そもそも禁酒法とは何だったのか?
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お酒を毎晩飲むため、20年前にIT・ビジネスライターとしてデビュー。酒好きが高じて、2011年に原価BARをオープン。2021年3月には、原価BAR三田本店をオープンした。新型コロナウイルス影響を補填すべく、原価BARオンライン「リカーライブラリー」をスタート。YouTubeチャンネルも開設し生き残りに挑んでいる
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