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東海林のり子が肝に銘じる「リポーターとして伝えるべきこと、伏せるべきこと」

 昭和・平成を駆け抜けた「ワイドショー」はいまひとつの転換点を迎えている。ときに事件、事故、スキャンダルの現場に向かい、人々の喜怒哀楽を伝え、時代の節目に立ち会ってきたリポーターたちも、同時に新たなステージへと向かおうとしている。果たして芸能リポーターという仕事とは何だったのか? 令和のいま、当事者たちの証言をもとに紐解いていく――。

<東海林のり子・第2回>

東海林のり子2-1 1980(昭和55)年11月29日に起きた「金属バット両親殺人事件」において、東海林のり子は真っ先に現場に駆けつけた。警察による規制線が張り巡らされる直前のことで、他局のリポーターは誰もいなかった。  悲劇が起きた現場宅の状況を丹念に確認する。そこで見つけたのが「水玉模様のカーテン」だった。いや、それはカーテンに付着したおびただしい数の血痕だった。  ――いち早く現場に到着すれば、誰も知らない発見ができる。  このとき得た教訓は、その後も事件リポート取材において役に立つことになる。東海林が述懐する。 「でも、私はこのカーテンのことは番組内ではリポートしませんでした。事件の凶器は金属バットだということは、すでに視聴者も知っています。そこで、血痕で染まった水玉模様のカーテンを映して、それをリポートすることはあまりにも残酷だし、亡くなった方にも失礼だと思ったからです。リポーターとして、血痕のことをしゃべるべきなのか。それとも、あえて触れなくてよかったのか……。でも、私はそれでよかったのだと、今でも思っています」

何を映して、何を伏せるべきなのか?

 事件リポーターでも、報道すべきものと、報道すべきではないものがある。東海林に問う。何を映して、何を伏せるべきなのか? その基準、根拠となるものはあるのか? その答えは、とてもシンプルだった。 「それはね、《優しさ》だと思うの。たとえばね……」  東海林の口から、具体例が続けられる。 「……たとえば、子どもが虐待されて殺された事件があったとします。このとき、現場には映すべきものはたくさんあります。庭に放置されているブランコや三輪車、縁側に転がっている小さなゴム草履……。それを見れば、視聴者は“こんな小さな子が殺されたのか……”とイメージしやすくなると思います。でも、私はそれを映すこと、それをリポートすることは優しさに欠けるんじゃないのかなと思うんです」  東海林は、なおも続ける。 「……たとえば、アルコール中毒で家族に散々迷惑をかけた父親が息子に殺された事件があったとします。自宅の裏には焼酎や日本酒の瓶が山のように積まれている。私は、それは映すべきだと思います。それによって、罪を犯さざるを得なかった息子の苦悩が見えてくるかもしれない。基本的に、事件現場というのは楽しい場所ではありません。楽しくないこと、辛いこと、悲しいことを伝えるときに必要なのは、リポーター自身の《優しさ》なのではないか。私はそう思うんです」  もちろん、初めから達観していたわけではなかった。さまざまな事件を前にして、考えが揺らぐこともあった。それでも、東海林の中には「何でもかんでもリポートすればいい」という考えはなかった。伝えるべきこと、伏せるべきことを取捨選択しながら、リポートを続けていく。日々の試行錯誤は終生続くことになる。
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加害者の家族にインタビューし批判を受ける
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1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

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