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委託殺人のようなリコール不正は民主主義の自殺

愛知県大村知事のリコール解職請求に向けた署名活動をめぐる偽造問題で、署名活動団体事務局長の田中孝博氏、妻のなおみ氏、息子の雅人氏、団体事務局で経理を担当していた渡邉美智代氏が逮捕された。警察は今後指示系統や役割分担などの解明を進めていく
鈴木涼美

写真はイメージです

I just recall to say I love you/鈴木涼美

 デスパレートな水商売人が使う手段に奢り・自腹と呼ばれる営業方法があり、客に会計の全額あるいは半額などの現金を渡し、店で自分を指名してもらうことを指す。  ナンバー争いやノルマ達成のためにどうしても指名本数や売上高を稼ぎたい時に使用されるが、ない人気をあるように見せるその行為は、バレた時には非常に恥ずかしい上に反感を買う。  禁止されていないのは、店や客には痛くも痒くもないからだ。売上全額が自分の給料になるわけではないので結果自分が損をする。ネット掲示板での自作自演の書き込みと並んで、最も馬鹿にされる行為の一つである。  愛知県の大村秀章知事へのリコール署名偽装事件で、運動団体事務局長の田中孝博容疑者ら4人が逮捕された。  団体はリコールに必要な数の約半数にあたる43万5000人分の署名を同県選管に提出していたが、不正調査の結果、83%に無効の疑いがあると判明。田中容疑者は、当初疑惑を否定していたが、今月に入り「予定通り署名が集まっておらず、焦っていた」と大量の署名書き写しを依頼したと話している。  今回の署名は「表現の不自由」展に抗議する高須克弥氏がリコールのための活動団体代表を務め、かつて市議会リコールに失敗した名古屋市の河村たかし市長が大々的に支援。団体設立の記者会見には作家の百田尚樹氏、コメンテーターの竹田恒泰氏らが出席し、その後も大阪府の吉村洋文知事が「応援してます、なう」とツイートするなど、SNSでネット右翼たちに絶大な影響力を持つビッグネームの名前がまとわりついているだけに、今回の逮捕がトカゲの尻尾切りに終わらず、事実関係やお金の流れをどれだけ明るみに出せるかが焦点となる。  ビッグネームに「恥をかかせるわけにいかない」とか、プライドを堅持するために自腹でも売り上げを立てるという次元の話ではないのだ。お金でアルバイトを雇って委託殺人のようなリコールができるなら、民主主義は機能しない。  ビッグネームたちはいずれもツイッターなどに熱心な支持者を抱えるアイコンばかりなのだが、彼らの支持者の一部が陰謀論をこよなく愛しがちな理由が今回の件でよくわかる。8割も水増しした署名を武器に堂々と政治家の失脚を狙うかたわら、トランプ落選は不正だったと騒ぎ立てる。  はなから民主主義を信頼する気がないし、それに則って生きる気もない。自分らに大衆や民意へのリスペクトがないから、他の政治家や活動家にだってそんなものはないだろうと決めつける。  自腹営業しているキャバ嬢やホストは他のキャストの自腹を疑う。浮気している人は自分の恋人の浮気を疑い、整形している人は芸能人の整形にやけにめざとい。  リコールで思い出すのは私が地方自治の担当記者だった頃、市長が専決処分を繰り返して大顰蹙を買い、リコールの住民投票が開かれた阿久根市のこと。  鹿児島空港から延々とバスに揺られてたどり着く小さな町で、住民らは熱心に取材に答えてくれた。僅差でリコールは成立、結局市長は失脚した。住民の一人は「トップの暴走を住民の手で止める投票は今までのどんな選挙より緊張した」と話していた。  民主主義の綻びを補完する制度がそれなりにちゃんと機能していることに安心したが、今回の事件では、「表現の不自由」展にゲキった保守系アイコンたちの影響力が、当初報道された規模の2割程度だったことに少し安心した。 ※週刊SPA!5月25日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

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