仕事

六本木ホストの経験も活かして通販社長に「過去の苦労が血肉になっている」

 キラキラしたイメージのある水商売業界。東京の夜の街に憧れて上京してくる若者までいるほどだが、長く続けることは難しいとも言われている。そこで一度は成功を掴んだとしても、多くの人がセカンドキャリアに悩む。その後、どのような道を進むべきなのか……。  22歳で名古屋から上京、六本木のホストクラブで指名数No.1のホストだった異色の経歴を持つ社長がいる。
吉田忠史

株式会社パレンテ 代表取締役の吉田忠史さん

 現在、「日本一コンタクトを愛し、日本一コンタクトを売りたい男」を標榜し、国内最大級のコンタクトレンズEC「レンズアップル」を運営する吉田忠史さん(46歳)。  ホスト引退後は、社長秘書や不動産営業、テレビショッピングなど、さまざまな業種を経験し、ときに大きな挫折や失敗、資金繰りのための消費者金融からの借り入れなど、波乱万丈の人生を歩んできた。  そんな吉田さんに、稀有な半生を送ってきたリアルな心情や反骨精神、そしてコンタクトレンズにまつわるトレンドの動向について話を伺った。

東京のキラキラした世界へ憧れて上京する

 名古屋出身の吉田さんは、学生時代はずっとバスケ部に所属。大学4年まで続けていたという。部活動の傍ら、大学近くのジャズバーでアルバイトを兼任し、マスターに可愛がってもらっていたそうだ。  就職活動の時期を迎えた頃、吉田さんは特にやりたいこともなく、とりあえず広告代理店やマスコミなど手当たり次第の会社を受けるも、一向に就職先は決まらなかった。  それもそのはずで、吉田さんは1976年生まれの氷河期世代。特に秀でたものがなければ就職するのが難しい時代だったわけだ。  そこで新天地を求め、東京に上京することを決意したという。 「私自身、身長が188cm近くもあり、顔もそこそこいける(笑)。おしゃべりもうまいと勝手に過信していて、東京のキラキラしたエンターテインメント業界で働くことに憧れていました」(吉田さん)

不景気で食い扶持がなくなり、ひょんなことから夜の世界へ

 上京後はモデルの単発の仕事や週6のアルバイトを行い、しばらくは生計を立てていたそう。だが、不景気が訪れたのを機にアルバイト先でのシフトカットを余儀なくされ、収入面が厳しくなってしまった。  そんな折、名古屋で親しくしていたジャズバーのマスターの言葉を思い出した。 「もし東京で困ったら、知人に上場企業の社長がいるので頼っていいぞ」  そこでその社長のもとへ出向き、「しばらくは会社員にならず、モデルや芸能系の仕事ができればしたい」と吉田さんは伝えたという。  その言葉を聞いた社長は、投資先である歌舞伎町のホストクラブへ吉田さんを連れていき、「ここで働いてみたらいい」とホストの仕事を斡旋してくれたという。  これが、吉田さんにとって夜の仕事に足を踏み入れる第一歩だった。
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六本木のホストクラブでは指名数No.1を獲得
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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