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巨人坂本勇人は“20年に1人の選手”だと思った…母校監督が語る「高校時代の坂本」

 8月6日から第105回全国高等学校野球選手権記念大会が始まった。2022年7月、私は『コロナで翻弄された甲子園』(双葉社)を上梓するにあたって、4月から5月にかけて8つの高校の取材を行った。そのうちの1校が今年の夏、2年連続12度目の甲子園出場を果たした八戸学院光星だったのだが、チームを指揮する仲井宗基監督から、現在巨人で活躍する坂本勇人にまつわるエピソードを語ってもらった。

出会いは2003年秋のこと

 今から20年前の2003年秋、当時の光星学院でコーチだった仲井と監督だった金沢成奉(現・明秀日立監督)は、ある中学生との出会いを果たす。兵庫県の伊丹に「面白い中学生がいる」という情報を中学の野球関係者から聞いていた。一方で、こんな話も耳にしていた。 「野球はたしかにうまいんです。でも結構やんちゃなところがあるんですよ」  いったいどんな選手だろうと思いながら金沢が伊丹まで足を運ぶと、高速道路の高架下でティー打撃をやっている中学生がいた。その打っている姿を見て、金沢は「よし、この選手を獲ろう」と即決。それが坂本だった。
八戸学院光星・仲井宗基監督

八戸学院光星・仲井宗基監督(2022年撮影©双葉社)

“20年に1度の選手”だと思った

 金沢が坂本の獲得を即決したのは、体をしならせてスイングしていたからだった。普通、バットを振る際には、バットをムチのようにしならせることでスイングそのものに柔らかが生まれ、ヘッドスピードが格段に上がって飛距離もアップしていく。  ところが体をしならせることができると、バットにボールが当たる正確性が増すうえに、一気に力が爆発させることができるので、より遠くに飛ばすことができる。どんなに口で教えても教えられない技術を、当時中学3年生だった坂本は持ち合わせていたというのが大きな理由だった。 「金沢さんが伊丹から学校に戻ってきて、『(坂本獲得を)ティーを見て決めた』と言っていたとき、内心、『それだけで判断していいんですか?』と思っていたんです。  けれどもいざ彼が2004年春に入学してプレーを間近で見るなり、『10年、いや20年に1人出てくるかどうかのええ選手やな』と即座に納得しましたね」  仲井は当時の坂本についてそう振り返る。
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今でも忘れられない「すげえ打球」
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スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
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