「暴走族の忘年会」取材で起きたまさかのトラブル。現場は“地獄絵図”に
こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は廃刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。
12月に突入し、すっかり忘年会シーズンです。この連載では、ある意味で「命がけ」の取材の裏話などをお話させていただいておりますが、今回ご紹介する体験も私の中で一生忘れられない思い出のひとつ。それが、屋形船で開催された「暴走族の忘年会」の取材です。
もう30年以上も前の話ですが、その取材は私たちにとって、どこにも逃げ場がない、水上で起きた大事件、まさに地獄絵図と言っても過言ではないでしょう。
ティーンズロードはレディース(女性暴走族)をメインに誌面で紹介していましたが、同時に男性暴走族からも取材依頼が多数来ていました。様々なハプニングが起こるのは、女性よりも男性の暴走族の取材中が多かったと記憶しています。
「ティーンズロードが取材に来る!」ってことになれば、向こうも一大事です。チームのみんなが気合いを入れてカメラに写ろうとテンションを上げてくるので、こちらは事故が起きないように、彼らを落ち着かせるのに必死でした。
さて、世間的な忘年会シーズンといえば、雑誌の編集部的には「年末進行」です。印刷所も休みの期間に入ってしまうので、その前に通常よりもタイトなスケジュールで入稿しなければなりません。雑誌の発売日などにもよりますが、うちとしてはお正月を迎える前に2号分を同時に制作しなければならず、大変でした。
そんな忙しい時期でしたが、関東近郊の某暴走族から連絡があり「うちのチームの忘年会、屋形船を貸し切ってやるんで取材に来てくださいよ」とのこと。
今までにない珍しいオファーだったので、編集部的には面白いネタが撮れるかもしれないと思って取材を快諾。私と新人編集者、スチールカメラマン、ビデオカメラマン(※当時はビデオも制作していた)の4人体制で行くことになり、現場に着くと、すでに30人くらいのメンバーが揃っていて、取材班を出迎えてくれました。
私も「よろしくお願いします!」とテンション高めに挨拶しながら、屋形船に乗り込んだのですが、このときは、のちに何が起こるのか、知る由もありませんでしたね……。
屋形船の中は広くて、すでに料理が配膳されていました。みんなが座った後に、幹部やOBと見られる人たちが、一人ひとり挨拶をしていきます。
「オレは〇〇連合◯代目の〇〇だけど、このチームは無敵なんで、てめ~らも喧嘩するなら死ぬ気でいけよ! 絶対負けんじゃねーぞ!!」
そんな先輩の言葉に対して、後輩たちは「押忍! 押忍!」と叫んでいました。
まさに命がけの「暴走族の忘年会」の取材秘話
屋形船に暴走族のメンバーがズラリ
伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。
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