ヤンキー男女が文通で出会う。90年代、雑誌の読者投稿ページは“SNS”だった
こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は廃刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。
令和の今は、SNSの普及により、日本全国はもちろん、海外の人とも気軽にコミュニケーションがとれるようになりました。
しかし私がティーンズロードをやっていた時代は、携帯電話は一般的ではなく、「手紙」や「家の固定電話」しかなかったので、自分を含め、皆さんはどうやって様々なやり取りを成立させていたのだろう……と不思議に思ったりもします。
とはいえ、あまりにも“情報”が多いことで、他人と自分をいちいち比べて悩んでしまったり、誹謗中傷や心ない言葉が目に入ってきたり……「あの頃のほうがよかったな~」と感じてしまうことも正直あります。信じられないかもしれませんが、平成初期の頃、ティーンズロードという雑誌は、ヤンキーの男女にとってはSNSのような役割をしていました。
今回は、そんな当時のアナログだからこそのドキドキやワクワクを感じてもらえたらなによりです。
前述のとおり、80年代から90年代の初頭は、SNSと呼べるツールはありませんでした。電話や手紙、駅の伝言掲示板ぐらいのものです。
その中で、若者たちをメインとして全国的に自分の存在をアピールできるツールが「読者参加型雑誌」だったわけです。
もちろん、その手の雑誌は様々なジャンルで存在していましたが、こと「ヤンキー系」においてはティーンズロードが人気を博しており、読者がこぞって写真を編集部に送ってきたのです。
ページのカテゴリーも様々で、自分自身(自己紹介)や車、バイク、恋人募集……とにかく若い男女が全国的にPRするためのツールとして雑誌を利用していました。
“目立ちたい”というヤンキー系の読者以外にも普通の学生や、今でいうところの“陰キャラ”の子たちも少なくありませんでした。悩み相談、学校ネタなど、ものすごい数の写真と手紙が送られてきていました。
雑誌の読者投稿ページが「SNS」だった
自己紹介から恋人募集まで…
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伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。
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