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「ヤンキー雑誌」を読む人に“実は普通の男女が多かった”意外なワケ

 こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は廃刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。

“ヤンキー雑誌ブーム”に押されて『ティーンズロード』が創刊

ティーンズロード

女性をメインにしたヤンキー雑誌『ティーンズロード』

 平成初頭は、空前の“ヤンキー雑誌ブーム”が訪れていました。そんななか、私がやっていたティーンズロードも創刊したわけですが、どちらかと言えば、他のヤンキー雑誌よりは後発でした。  私の記憶が正しければ、その当時すでに改造車や単車を扱う雑誌として『ホリデーオート』『ヤングオート』『チャンプロード』などが発売されていて、しかも売上は絶好調。  多いもので発行部数20万部を超えるほどの雑誌もありました。様々な出版社がその二番煎じを狙うべく、次々に新しいヤンキー雑誌を創刊しておりました。  我々もそれに負けじとティーンズロードの創刊を急いだわけですが、初代編集長としては、他誌と同じことをやっても意味がないと、“女性をメインにしたヤンキー雑誌”というコンセプトで始まりました。  ただし、その当時、暴走族は男性がメインで、女性はその男性たちの車の助手席やバイクの後ろに乗って集会などに参加していることが多く、いわゆる「レディース」という存在はまだまだ全国でも数が少なかったと記憶しています。

そもそも全国に約20万人もヤンキーがいたのか?

 ティーンズロード創刊後、約1年あまりでレディースチームの数が全国で激増し、まさにブームが訪れました。相変わらず、車やバイクの改造車をメインとする雑誌も売れ行きを伸ばし続けている状況でした。  しかし、全国のヤンキーたちがこぞってティーンズロードなどを読んでいるといっても、冷静に考えて「そもそも全国にヤンキーが20万人もいるのか?」という話です。  他誌においては自分の車や単車を自慢したいヤンキーたち、そしてその改造車を見たくて読むというヤンキーの読者が多いことは当然ですが、我々がティーンズロードを創刊した当時、すでに「暴走族なんてまだいるの?」くらいに東京では暴走族の数が減っていたと思います。  もしも水面下で暴走族が活動していたとしても20万人の読者がみんなヤンキーかと言えば、それもありえないでしょう。では、どんな人たちが読んでいたのでしょうか?
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読者の約6割が「普通の10代男女」
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伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。

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