マック鈴木が「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」になれたワケ。グラブも持たず渡米したのに…
―[サムライの言球]―
1992年、野茂英雄がメジャーで活躍する前のことだ。高校中退直後の16歳の少年が単身で渡米した。やがて鈴木誠少年は多くの艱難辛苦を経験し、「マック鈴木」となる。
しかし、マックは野球をするためにアメリカ行きを決意したわけではなかった。息子の将来を心配した父親が「環境を変えてやり直せ」と命じたことで、彼の運命の歯車が大きく回りだすことになった。「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」の野球人生に迫る。
街でのケンカがきっかけで滝川第二高を自主退学
アメリカで野球への思いが再燃
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数
記事一覧へ
記事一覧へ
この特集の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ