更新日:2011年09月20日 16:23
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話題の僧侶に聞く なぜ今、【ブッダブーム】なのか?

映画『手塚治虫のブッダ―赤い砂漠よ美しくー』が公開され、同時に東京国立博物館では『手塚治虫のブッダ展』が開催(6月26日で終了)。書店に行けば、『心がスーッとなるブッダの言葉』『ブッダに学ぶとわられない生き方』『ブッダはなぜ腹が立たないの』など、仏教の開祖・釈迦=ブッダを取り上げた書籍が並ぶ。 なぜ、今、ブッダブームなのか!? 『超訳ブッダの言葉』『ブッダにならう苦しまない練習』などの著作もある話題の僧侶・小池龍之介氏に話を聞いた。
小池龍之介

小池龍之介●1978年生まれ。月読寺(東京都世田谷区)、正現寺(山口県山口市)住職。自身の修行を続けながら、月読寺やカルチャーセンター等で一般向けの坐禅指導、講演を行う

――なぜ、今、ブッダに注目が集まっているのでしょうか? 小池 「釈迦=ブッダが流行しているのは、なぜだと思いますか?」。最近になって、私自身、このような取材を立て続けに受けております。よりによって、ブッダが流行として消費されるのは奇妙な光景ですけれども、それには確かな背景があるように思われます。  ひとつは、ブッダの放ったメッセージは、心の中に溢れかえった余計な情報量を減らして、心をスッキリさせる技術の宝庫だということです。  情報量を減らすブッダのアプローチが注目を集めるのは、裏返して申せば、現代人が、あまりに大量の言語情報がテレビやインターネットを通じて浴びせかけられて、不必要な情報をも脳に刷り込まれて疲れてしまっているという証左のようにも思われます。 そして同時に、ブッダの実践的なアプローチが、従来の「仏教」のイメージを覆すようで新鮮なのではないでしょうか。実生活と無縁の「葬式仏教」というイメージだったり、あるいは怪しげでスピリチュアルなイメージにまみれがちな「仏教」から離れた、実践的で哲学的な印象が近づきやすくもあるのでしょう。 ――ブッダが生きた時代と我々が生きている今との共通点は? 小池 ブッダが生きた時代、今からおよそ2500年前のインドでは高度に商業が発達して、若いころのブッダをはじめとした一部の豊かな人々は様々な快楽を得ながら生きていました。  「そんな遠い昔の、恵まれた生活をしていた人とは、自分とは全然関係ない!」とお思いになる人もいらっしゃるでしょう。しかしながら、あながち、そうとも言い切れないのです。  よくよく考えてみれば、現代人は特にお金持ちでなくとも、聴きたい音楽があればボタンひとつで聴くことができ、食べたいものはちょっとお金を出せばいくらでも食べることができ、欲しい情報はすぐに手に入ります。昔の貴族以上に快楽を味わうことができているでしょう。  こうして快適すぎる状況に置かれると、私たちは生き物としての感覚が鈍って、心がおかしくなりがちなものです。ですから、<快楽>が多すぎて狂いがちな心をチューンアップするためにも、同じような苦しみを通り抜けたうえで編み出されたブッダのアプローチは、私たち現代人に効き目抜群、かもしれませんよ。  特に、3.11以降、<快楽>を支えてきたひとつである電力に制限が加わった。 私たちは、これまで「当たり前」だと思っていたものが、決してそうではない、ということを体感している最中。今、生きる哲学を求める人がブッダに寄り添うのは必然、なのかも。 小池氏をはじめ5人の僧侶による覚悟の決め方 僧侶が伝える15の智慧には、仏教の見地から3.11後の“空虚”“不安”への処方箋が提示されている。 取材・文/鈴木靖子 写真/佐藤克秋 ◆関連書籍 『覚悟の決め方 僧侶が伝える15の智慧』 地震後の“空虚”への処方箋
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