更新日:2014年05月11日 10:15
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大盛況!キトラ古墳展をより楽しむための【古墳雑学】――歴史的経緯と巨大化した理由

 東京・上野の東京国立博物館で特別展「キトラ古墳壁画」が4月22日に開幕したことは既報済み(https://nikkan-spa.jp/629307)だが、初日から約3600人もの観覧者が訪れるという大盛況ぶり。開幕の前日には安倍晋三首相も同特別展の内覧会に出席して話題を呼んだ。
キトラ古墳

「キトラ古墳壁画」の四神の1つ「白虎」(レプリカ)

 この特別展、注目すべきは「四神(しじん)」であろう。四神とは、東西南北を守る青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)の霊獣のことだが、今回、このうち青龍を除く3点の壁画を観覧することができる。  古代史ブームの中、古墳の人気も高まっているが、そもそも古墳とは何なのか? どういう歴史的経緯から生まれたのだろうか? これまで多くの古代史の書籍を世に出している明治学院大学教授の武光誠氏はこう話す。 「祖霊信仰に代わって首長霊信仰がつくられたことは、日本に大きな転換をもたらしました。そして首長霊信仰が誕生した時に、首長霊を祭る古墳が出現したのです」  祖霊信仰とは、亡くなった祖先の霊魂や人間の霊魂以外の霊魂を祭る信仰のこと。もともと日本人は、この祖霊信仰を行なっていたという。古代の日本人は、互いに親戚関係の人々が一つの集団をつくっており、その祖先たちなどの霊魂の集団を祖霊として祭っていたのだ。首長とは人々の集団の代表だが、やがて祖霊についても、首長の祖先の霊が祖霊をまとめていると考えるようになった。地域の祖霊を代表する存在として、首長の祖霊を祭ったのが首長霊信仰になったというわけだ。  また、武光氏はこう語る。 「祖霊信仰の時代の小国には、高くつくられた祭場と、土を盛って設けた王墓との二つの信仰があったのです。私は巨大な古墳がのちに、この二つの機能を合わせるようになったと考えています。木造の建物を、どこまでも高くしていくことは不可能です。そのため大和朝廷の大王は、古墳を巨大化していく方向をとったとみられます」  つまり、祖霊信仰⇒首長霊信仰⇒古墳という流れだが、こうした歴史的な知識や経緯を知っていれば、今回の特別展もより面白いものとなるに違いない。  武光氏の最新刊『日本の古代史 本当は何がすごいのか』(育鵬社)では、こうした古墳の知識をはじめ、これまで語られてこなかった、わが国の古代のすごさと魅力が語られている。  なお、東京国立博物館の特別展「キトラ古墳壁画」の開催期間は、今月18日までと期限が迫っている。まだ行かれていない方は、古墳の歴史を知ってから観覧すると、これまでと違った面白さを味わえるかもしれない。 <取材・文/吉留哲也>
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