ばくち打ち
番外編その3:「負け逃げ」の研究(21)
「さて、そろそろお仕事に取り掛かりますか?」
と雲吞麺(ワンタンメン)を食べ終わった岸山さん。
額にはうっすらと汗を浮かべていた。
やる気満々、はち切れるほどの気力がみなぎっているのが、わたしにも伝わってくる。
「ひと仕事、終えたばかりなんです」
とわたし。
「どうでした」
「まあまあでしたね」
まるでウソ。
ぼこぼこにやられました、とは口が裂けても言えない。いや、言わない。
「一人で打つのは、ちょっと不安です」
「コーヒーを飲む間、見学していますよ。そのうちIさんも降りてくるでしょう」
ゲーミング・ルームに移動すると、岸山さんが新しいテーブルをオープンさせた。
フロアの奥の方にある、1万HKD・ミニマムの卓だった。
前日に、岸山さんとIさんが大勝したバカラ卓である。
やっぱり、そうするよ。
「犯人は犯行現場に戻る」と指摘したのはドストエフスキーだったが、カジノ賭人は「勝利した卓に」戻る。
おそらくこの法則に、例外はなかろう。
岸山さんのカットで、シューが始まった。
ほとんどのバカラ賭人は、シューのはじめの数手には手を出さない。
勝ち目の出方をうかがうのである。
ところが岸山さんは、最初の一手から手を出す。
この時は、プレイヤー・サイドへミニマム・ベットでの1万HKD(15万円)。
そして、ナチュラルを起こして、あっさりとプレイヤー側が勝利した。
岸山さんは躊躇なく、プレイヤー・サイドでダブル・アップの2万HKDベット。
これも難なく勝利し、またダブル・アップで4万HKDをプレイヤーを示す白枠内に。
「判断材料がないのに、どうやって初手のサイドを決めるの?」
とわたし。
「判断の材料は、ないほうがいいんです。どうせ偽りの材料なんだから。初手は、自分の手が動いた方に張ります」
と岸山さん。
正論であろう。
ケーセン(罫線=勝ち目が描く画)なんて、しょせん気休めだ。
バカラにおいて、過去の記録は、未来の判断材料とは決してならない。
ではなぜ、バカラの打ち手たちは、ケーセンという「過去の記録」を参考にし、じっくりと時間をかけて検証し、大切なおカネを、それも大枚なおカネを賭けていくのか。
きわめて単純かつ明快な理由によってだ。
ケーセンという「偽りの材料」以外に、判断の手掛かりとなるものが、まるでないからである。皆無。
3手目も4手目も5手目も6手目も、岸山さんは恐れを知らないかのようにダブル・アップのベットで、プレイヤー側の連続楽勝。
いきなりのツラだった。
岸山さんは、6手目のオリジナル・ベット、および勝利でつけられた勝ち金を、手元に引き寄せた。
初手のベットだった15万円は、10分間もしないうちに1000万円弱に化けてしまった。
簡単なのである。
それゆえ、怖い。
だから、底なしに面白い。
6連勝して、ここでため息をつきながら、岸山さんは考え込んだ。
次手もダブル・アップするとしたら、64万HKD(960万円)のベットだ。
メルセデスのEクラス・カブリオレの新車が買える金額となる。
そりゃ、考え込むよな。
「L字ですかね?」
と岸山さんがつぶやいた。
どうやら、全額行く気らしい。
青ざめていた。
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