番外編その3:「負け逃げ」の研究(23)

 さて、バンカー側の持ち点は、「不毛の組み合わせ」ながら8プラス5イコール3で、考えうる最高得点だった。

 安堵の吐息をつきながら、ここで岸山さんはプレイヤー側2枚のカードをディーラーに投げ返した。

 バンカー側にナチュラルで「瞬殺」されていない。

 それだけでも、この局面では大変なアチーヴメントだったのだろう。

 まあそう書いても、バカラで大賭金(おおだま)勝負をしたことのない人たちには、わからない感覚かもしれないけれど。

 プレイヤー側の持ち点4。一方、バンカー側の持ち点は3。

 泥仕合(どろじあい)となった。

 この時点では、プレイヤー側が一応リードしている。

 しかしこの局面でどちらのサイドを握りたいか、と問われれば、人それぞれかもしれないが、わたしなら迷わずにバンカー側を選ぶだろう。

 コメカミにどす黒く浮いた血管が、岸山さんの激しい脈動を告げる。

 ずんどこ、ずんどこ。

 カード2枚では決着がつかず、3枚引きの勝負となった。

「プレイヤー」

 そう言いながら、ディーラーが3枚目のカードを岸山さんに向けて流した。

 バンカー側3枚目のカードは、まだシュー・ボックスから引き抜かれていない。

 なぜなら、バンカー側に3枚目の配札があるかどうかは、いわゆる「3条件」で、プレイヤー側の3枚目のカードの数字次第となるのだから。

 プレイヤー側3枚目が「8」の数字でない場合を除き、バンカー側には3枚目の配札がおこなわれる。

 これが、バカラの「3条件」だ。

 この「条件」の存在が、バカラを奥の深いゲームとしているのだが、これもバカラ・プレイヤー以外の人には理解できない部分だろう。

 あらためて肺の中を空気で充満すると、岸山さんがプレイヤー側3枚目のカードを右上角から絞り始めた。

 ゆっくりと。本当にスローに。

 斜めシボリである。

「脚」

 と岸山さん。

 脚がついたのは、微妙なところである。

 この局面でいちばん安全なのは、右上角になにも見えないモーピン(1か2か3)のカードなのだろう。

 持ち点が4だから、4プラス1、4プラス2、4プラス3と、それぞれ不安は残すものの、持ち点は上昇する。

 カードの横サイドに2点が現れるリャンピン(4か5)なら、最良だ。

 持ち点が8か9となり、そこで叩かれることは、まずあるまい。

 一方、横サイドに3点が現れるサンピン(6か7か8)は、最悪。

 それだと持ち点は0か1か2に低下して、当たり前なら負けを覚悟しなければならない。

 横サイドに4点が現れるセイピン(9か10)のカードは、持ち点が現状維持か微減で、敵がもう1枚のカードで自滅してくれるのを祈る局面となる。

 以上の理由によって、絵札やモーピンではなくて、「脚がついた」カードを起こしたのは、微妙なのである。

 岸山さんの顔が、赤黒く膨れ上がっていく。

 頬も膨らまして、すこしずつ絞り起こしているカードに、ふーふーと息を吹きかけた。

 二段目と中央のマークが飛んでいけ、という「おまじない」である。

 それらが飛べば、岸山さんが起こしているのは、リャンピンのカードと確定する。すなわち、「ほぼ」勝利だ。

「二段目、クリア」

 岸山さんが、自らを鼓舞するようにつぶやいた。

 セイピンのカードではない。

「チョイヤァ~ッ」

 とわたしの気合い。

 中央のマークが抜けていろ、リャンピンになれ、という声援だった。

 なにしろ、このクー(=手)を仕留めれば、メルセデスのEクラス・カプリオレ2台が買える大勝負である。

 同車種を2台ももつ必要がなければ、同じメルセデスでもSクラスが購入できる。

 カードに息を吹きかけつつ、岸山さんが絞る。

 全身全霊を籠めて。

 1ミリの数分の一ずつ。

 本当に、スローに。

「チョイヤア~、チョイヤァ、チョイヤ、チョイ!」

 わたしも肚の底から応援する。

 わたしにとって岸山さんは、カジノでの軽い知り合いといった程度の他人だけれど、それでもハウスに勝たれるよりはずっといいのである。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(24)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。