ばくち打ち
番外編その3:「負け逃げ」の研究(24)
「あっ、あっ、ああっ」
と、岸山さんが鼻から切ない声を漏らした。
どうやらカードの横中央に、マークの影が出てしまったようだ。
岸山さんが、全身全霊を籠めて絞っていたのは、サンピン(6か7か8)のカード。
サンピンのカードなら、プレイヤー側は、4プラス6でゼロ、4プラス7で1、4プラス8で2の持ち点となる。
「ほぼ」絶望的な状態であろう。
しかしここで空気を抜いてはいけない。
バンカー側が3枚目の配札で7を起こし、プレイヤー側は持ち点ゼロでも「タイ」のプッシュ(=引き分け)、あるいは持ち点1でも勝利となる可能性だって残されているのだ。
カジノでは、なんでも起こる。
すべての可能性が消去されるまで、諦めてはいけない。
それじゃ、8のカードを起こし、プレイヤー側の持ち点を2にしたほうがいいのか、というと、実は8のカードを起こすのが、最悪だった。
なぜなら、バカラの「3条件」で、プレイヤー側が3枚目で8を起こしたときのみ、バンカー側に3枚目のカードは配られない。
したがって、この勝負クーは、バンカー側の勝利で決定してしまう。
岸山さんの顔が、赤黒いものから蒼白なものにと変わった。
だいぶん、空気が抜けてしまったようだ。
そりゃ、そうだ。
負けて、メルセデスEクラス・カプリオレ1台分の損失。
勝てば、メルセデスSクラスが1台買えたのである。
「まだまだ希望はある」
とは、わたしの励まし。
はい、と頷いたものの、岸山さんの身体からすでに気迫は去っていた。
どうやら、諦めちゃったようである。
希望は諦めたときに、絶望に変化する。
これは、カジノだけでの話ではなくて、日常生活あるいは諸事一般でも通用する心得だろう。
あまり力も籠めずに、岸山さんはカードを更にめくった。
「アイヤア~ッ」
と岸山さん。
プレイヤー側3枚目のカードは、左右三点中央二点の8という最悪のカード。
8であるなら、フィニートだ。
「バンカー・ウインズ、3オーヴァー2」
勝負に参加していないわたしにも、ディーラーの無感情な声が、遠くから響くように聞こえた。
「はい、これでアガリ」
岸山さんが、席前に積まれたノンネゴシアブル(=ベット用の)チップのすべてを、ディーラーに向けて押し出した。
わたしが感動したのは、岸山さんが吐いた次の言葉だった。
「1万HKDをやられました」
そうかあああ、すごいなあああ。
確かにこの朝、岸山さんが手を出したのは、7クーだけである。
賭金のダブルアップでツラを追い、7手目には64万HKD(960万円)のベットとなってしまったのだが、元をただせば1万HKD(15万円)のベットで始まった勝負だった。
すなわち、7手目を落としても、失ったのは1万HKDのみ。
でも、フツ―の人には、そうは考えられない。
メルセデスEクラス・カプリオレ分のおカネを失った、と考えてしまう。
「昨日は17目のツラのおかげで、ベントレー・ミュルザンヌの新車1台分以上を勝たしてもらった。今朝は楽しんで1万HKDの負け。上等でしょう。さてこれから香港でビジネスです」
岸山さんは、思い切りよく席を立った。
こういった思考方式をもつ人のみが、カジノで大勝できるのであろう、とわたしは思う。
いたく感じ入った。
でも、それはそれで他人のおカネ。
わたしには教祖さまへの復讐戦が、まだ残されている。
~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
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