ばくち打ち
番外編その3:「負け逃げ」の研究(26)
わたしが下のゲームング・フロアに降りたのが、午後2時ちょっと前。
戦(いくさ)の前に腹ごしらえ、と思っていたのだが、すでに教祖さまは、奥の1万HKD(15万円)ミニマムのバカラ卓に坐っていた。
新しい女性が、隣りにいる。
20代前半、なかなかの美形ながら、派手さを抑えた清楚なおもむきである。
彼女もまた、教祖さまの愛人なのか。
宗教って、いいなああ。
「どうですか?」
わたしは声を掛けながら、卓の隅の席に陣取った。
「昨日はあんたが居るあいだはよかったんだけど、帰ってから、もう地獄のケーセン(=バカラでの出目を示す画)だったよ。朝イチの便で、日本から新たな兵隊を届けてもらったところなんだ。まあ、本当の勝負は援軍が着いたこれからですな」
と教祖さま。
ああ、それでちょうど100万HKD(1500万円)相当のノンネゴシアブル(=ベット用の)・チップを、席前の卓上に積み上げていたのか。
羅紗(ラシャ)上に、教祖さま特有の積み上げ方でつくる1000HKDのキャッシュ・チップの山は見当たらない。
ということは、まさにこれから打ち始めるところなのか、それともまだ一手も勝っていないのか。
成田発のHKエクスプレスを使うと、香港国際機場着は10時あたりだろうから、多分前者だ、とわたしは推察した。
それにしても、電話かメール一本で、日本から大枚の現金が届けられる。
再び、宗教って、いいなああ。
「ゲームに参加しても、いいですか?」
「どうぞどうぞ。また勝負しましょう」
昨日と同じように、わたしと張り合うつもりらしい。
望むところだ。上等である。
わたしは25万HKD(375万円)をデポジットから引き出した。
100万HKD対25HKDの勝負。
これは圧倒的に4倍のバンクロールを持つ側の方が有利である。
それでも構わない。
わたしは、機の到来を待ち、オール・インの一手勝負しかする気はないのだから。
それゆえ、当面わたしからは動かない。
わたしの裏を張る(つまり「張り合う」)つもりらしい教祖さまも動けない。
すると、「フリー・ゲーム」で、どんどんとケーセンだけが進んでいく。
シューの三分の一くらいを消化したあたりだったか。
勝ち目が、ある特定のパターンを示し始めた。
「Pのニコイチ」である。
プレイヤー側が2勝すると、それ以上伸びずに、バンカー側に1回だけ飛ぶ。
これが俗に「Pのニコイチ」と呼ばれるケーセンだ。
そのパターンが、電光掲示板の表示では4本すなわち8行繰り返された。
8行目でバンカー・サイドに飛んだ時、教祖さまが動いた。
5万HKDのプレイヤー側へのベットだった。
こらえきれなくなったのか。
だから、駄目なんだよ。
博奕(ばくち)は我慢。
早漏は沈没。
ところが、教祖さまはあっさりとナチュラル・エイトをプレイヤー側で絞り起こした。
バンカー側が5だったから、教祖さまのボックスには5万HKDの勝ち金がつけられる。
次手もプレイヤー側に5万HKDのベット。
まあ、「Pのニコイチ」の画を信じるのであれば、そうなるのだろう。
しかし、これまで繰り返して述べてきたように、ケーセンが示す画などというものは、なんの根拠ともならない。
過去の勝ち目の記録は、いかなる意味でも、未来の勝ち目を示唆するものではない。
ここで行くべきなのか。
「ちょっと待ってね」
とディーラーに告げると、わたしは考え込んだ。
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