番外編その3:「負け逃げ」の研究(27)

 時機尚早。

 この場、この時、それがわたしの結論だった。

 博奕は我慢。

 早漏は沈没。

 ついさっき、教祖さまのベットを見て、心の中でそう評したばかりだったではなかったか。

 それに教祖さまのベットが5万HKDというのは、少な過ぎる。

 こちらは25万HKDで行くのだから、敵も負けたら痛みを感じるくらいのベット量でないと困るのである。

 こんなことを言ってもわからない人は多かろうが、わたしの心中に抱く「恐れ」が、敵のそれを上回ってしまったら、サシであるならほとんどの場合、その勝負を落とす。

 はい、まったく「科学的」ではござんせん。

 そんなことは、百も承知、二百も合点。

 しかし、博奕って「科学」ではないのである。

 付け加えると、「非科学」ではもっとない。

 ここをわかっていない人が多すぎる。

「ゴー・アヘッド」

 わたしはベットしないまま、ディーラーに告げた。

 結果として、わたしの我慢は正解だった。

 このクー(=手)も、プレイヤー側がナチュラルであっさりと勝利。

 仕掛けていたら、25万HKDの失って「半千切り」となり、尻尾を股間に挟んですごすごと退場になるところだった。アブネ、アブネ。

「Pのニコイチ」はまだつづいている。

「こういう素直なケーセンのときに取れないと、勝てないよ」

 と教祖さまにエラソーに言われてしまったが、聞き流す。

 これも、我慢。コーヒーをひと口飲んで、気を静める。

「9行目は終了。次手はバンカーに飛びます」

 と自分自身に言い聞かせるようにつぶやくと、教祖さまは10万HKDのバンカー側ベット。

 わたしは、まだ仕掛けない。早漏は沈没なのである。

「ありゃ」

 数字は憶えていないが、プレイヤー側が3枚引きで勝利した。

 教祖さまはその次のクーで、同額のバンカー側二度押しをしたのだけれど、これもプレイヤー側の楽勝。

 プレイヤー側が4目(もく)落ちた。

 こうなってくると、まあ当たり前なら、ツラ(=連続の勝利目)を追うわな。

 案の定、教祖さまは、同じく10万HKDの賭金量でプレイヤー側の枠に、ベットを移動させた。

 ところが、ここでプレイヤー側のツラが切れる。

 教祖さまの顔が赤く膨らんだ。

 もうちょっと、待とう。

 もうすぐ、教祖さまの眼に血が入るはずだ。

 そのときに、大勝負。

 わたしは肝に銘ずる。

「Pのニコイチ」が終わってから、勝ち目は乱れた。

 教祖さまは殊勝に、ベットを1万HKDとか2万HKDとかに落としていたのだが、可哀想なくらい外れる。

 わたしは臍(ほぞ)を噛んだ。

 行くチャンスは、いくらでもあったのである。

 臍を噛んでも、反省はしない。

 博奕では、途中で反省したり後悔した奴は、負けるのである。

 はい、これももちろん「科学的」な主張ではござんせん。

 教祖さまの席前の卓上に積み上げられたノンネゴシアブル(=ベット用)・チップが、すこしずつ削られていく。

 これはつらいし、切なかった。

 ああ、俺のカネ、俺のカネ。

 それが無情に溶けていく。

 どうしても、そう思ってしまう。

 シューも四分の三ほどを経過したころか。

 教祖さまの眼に充分血が入ったのだろう。

 顔を赤黒く膨らませた教祖さまが、プレイヤー側にオール・インのやけくそベット。

 ノンネゴシアブル・チップのみならず、勝ち金としてつけられたキャッシュ・チップまで載せてきた。

 ざっと目算したところ、50万HKDを超すチップの量だったと思う。

 教祖さまの隣席に坐る歳若い美形の女性が、はっと息を飲んだ。

 緊張が走る。

 やっと、時機到来。

 ここで行かなきゃ、いつ行けるんだ。

「俺のカネ、返せええええっ!」

 と胸の内で絶叫しながら、わたしも行った。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(28)

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2016.11.03 | 

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。