番外編その3:「負け逃げ」の研究(29)

 こめかみに青黒い血管を浮き上がらせた教祖さまがプレイヤー側に絞り起こしたのは、2枚のサンピンのカード。

 いわゆる「リャンコ・サンピン」と呼ばれるカードの組み合わせで、片方総づけ、他方総抜け。

 8プラス6イコール4の暫定持ち点となった。

 ナチュラルで決められなかった教祖さまが、アイヤアと小さくつぶやきながら、2枚のカードを力なくディーラーに向かって投げ返す。

 こんなん、ひと捻(ひね)りじゃわい。

 ディーラーによって流されてきたバンカー側2枚のカードの上に掌を置き、わたしはひとまず呼吸を整えた。

 前日の岸山さんの大賭金(おおだま)ベットのときにも書いたのだが、プレイヤー側の最初の2枚で4という持ち点は、弱いのである。とても弱い。

 打ち手の感覚としては、数字的にそれよりも低い0,1,2,3などより、ずっと弱い。

 苦しめ、もっと苦しめ、はははは。

「優しい数字ですね。じゃ、一発で決めましょう」

 と、さらに余裕をもったつもりのわたし。

「このクー(=手)は、3枚引きになります。わたしの霊感がそう告げている」

 と教祖さま。

 なにを言いやがる。

 教祖さまの霊感なんて、信者にだけ通用するんだよ。不信心のわたしには屁でもない。

 と心の中で悪態をつくわたし。

「いまのあんたなら、出せて3でしょう」

 教祖さまが追い打ちをかけやがった。

 相手にせずに、わたしはカードの絞りに集中する。

 1枚目は横ラインに4点が現れるセイピンのカード。

 セイピンのカードでも「抜け」て9であれば、勝負の展開上わたしの優位はずいぶんと高まる。

 このカードを最後まで確認せずに、2枚目のカードに移った。

 最良は、同じくセイピンのカード。これなら、1枚を「抜け」ば、そこでナチュラル、すなわちフィニート。

 わたしのベットには、23万7500HKDの勝ち金がつけられる(バンカー側の勝ち金からは、5%のコミッションが差し引かれる。プレイヤー側の勝利なら同額の払い戻し)。

 2枚目のカードが絵札なら、二分の一の確率でわたしのナチュラル。

 現時点での敵の持ち点は4だから、サンピンのカードでも数が多いものなら、まず負けることはあるまい。

 わたしが力を籠めて絞っているカードの右上隅に、影が現れた。つまり、脚がつく。

 絵札や最悪のモーピン(1か2か3)ではなかった。

 それはいいにしても、二段目が「抜け」ている。

 んっ?

 せめてサンピン。

 そう願いながら、カードを絞る指先に、さらに力を加える。

 すでにめくり上げたカードの先端が、ぶるぶると震えていた。

 つけっ、コノヤロ。出てこい!

 んっ、んんっ?

 横サイド中央にも影が現れない。

 ということは、わたしが絞っているのは、リャンピン(4か5)のカードなのである。

 ヤバソー。

 心中に芽生える不安の芽。

 こうなるとバンカー側の暫定持ち点は、最良で10プラス5の5、最悪だと9プラス4の3となる。

 プレイヤー側の最初の2枚での持ち点が4であるなら、バンカー側の最初の2枚での持ち点が5ならば、上等だ。同点の4でも、充分勝負になるのだろう。

 しかしわたしの握るセイピン・リャンピンの組み合わせのカードが、両者とも「抜け」「抜け」で、9プラス4イコール3の持ち点になると、勝利の可能性はぐんと低くなる。

 厳しい展開となった。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(30)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。