番外編その3:「負け逃げ」の研究(28)

 わたしは、25万HKD(375万円)分のチップを、バンカーを示す白枠内に、そっと押し出した。

 10万HKDのオレンジ・チップが2枚に、1万HKDのブラウン・チップが5枚。

 どかん、とは叩き付けない。

 心臓が、ことことと小さな音を立て始めた。

 それでも、平時の心掛け。

「来ますか」

 と教祖さま。

「行きます」

 とわたし。

「待ってたんですよ。やっぱ、一人で打つバカラは難しいですからね」

 と教祖さま。

 そもそもいつも毎クー(=手)に手を出す教祖さまが、わたしと「張り合う」ということで、ベットを控えていた。

 ところが「Pのニコイチ」を示すケーセン(=勝ち目が示す画)が現れ、我慢しきれずに張り出した。

 そこの部分では連勝しながらも、「Pのニコイチ」の画が崩れてからは、いいとこなし。

 殊勝にベットを下げながら、教祖さまは毎クーに手を出していた。

 じりじりと削られて、オール・インのやけくそベット。

 それがこれまでの流れである。

 もっとも、卓上に積まれたチップではオール・インだったが、デポジットには、まだ残っているかもしれない。

 そこいらへんは、わたしにはわからない。

 わからなくても結構。

 敵はやけくその50数万HKD、こちらは崖っぷちの25万HKDでの張り合い。

 条件的には同じようなものか、あるいはこっちの方が若干有利だろう、とわたしは踏んでいた。

 ただし、わたしのベットはわたしのカネ。敵のそれは、(多分)汲めども尽きぬ宗教組織のカネ。

 そこいらへんでベットしている者が抱く恐怖の総量に、かなりの差が出る。

 この部分では、わたしが劣位に立つのは認めざるを得なかった。

 こう書いても、バカラ卓で背筋が痺れ胃壁が溶けるような大勝負をしたことがない人たちには、理解不能かもしれないけれど。

「ノー・モア・ベッツ」

 の声がディーラーから発せられて、もう変更はきかなくなった。

 人事を尽くしたかどうかは定かならねど、天命を待つのみ。

 肚(はら)をくくって、運命の神にすべてを委(ゆだ)ねるのである。

 場数だけなら、わたしの方が圧倒的に多いはずだ。

 ディーラーが、シュー・ボックスからカードを抜き出した。

 所定の位置に2枚ずつ重ね、それからまずプレイヤー側ベットの教祖さまの前にカードを流す。

 わたしは、プレイヤー側2枚のカードが開かれるまで、ただ待つ。

 鼓動が高鳴る。

 そうなってはいけないのだが、どうしてもそうなってしまう。

 教祖さまがカードを絞りはじめた。

 隣りに坐る歳若い女性の青白い頬が、ひくひくと小刻みに痙攣していた。

 そりゃ、そうであろう。

 丁と出るか半と出るか、まったく不明なものに、750万円ものカネを賭けていた。

 たとえそれが、「超能力者」である教祖さまが選択したことであろうとも、彼女の胸は、いま恐怖で張り裂けそうになっているはずだ。

 まあ、その姿を数ボックス離れた席からしっかりと観察していたのだから、わたしにはわずかでも余裕が残されていたということか。

 これはプラスの因子だと思う。

 思う、ではなかった。

 プラスだと信じるんだ。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(29)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。