番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(14)

 全投資を8か月で回収してしまった件もそうなのだが、当時の澳門金沙(マカオ・サンズ)には、当たり前ならとても信じられないような話が、ごろごろと転がっていた。

 オープンは2004年5月18日で、その月の入場者数は50万人。開業2か月後の同年7月には、月間100万人の入場者を記録する。

 一般フロアのすべてのゲーム・テーブルには、何重にも人が重なり、うしろの方の打ち手のベットは、バケツ・リレーのように、なん人かの手を経由して、台まで届くのであった。

 澳門金沙の開業は、その巨大さのみで衝撃を与えただけではない。

 プレミアム・フロアというコンセプトを、マカオに導入した。

 これが前述したPAIZA・CLUBの中にある。

 業者を通さなくても、ロール・オーヴァーの一定割合をキャッシュ・バックとして戻してくれる。誤解を恐れずに言ってしまえば、ハウス直轄のジャンケット・フロアみたいなものである。

 それまで、タチの悪いジャンケット業者にさんざん痛めつけられていた大口の打ち手たちは、この新しく導入されたプレミアム・フロアのコンセプトに飛びついた。

 プレミアム・フロアの会員になるため、列をなしたのである。

 その成功ぶりを物語るエピソードを、ひとつだけ紹介する。

 オープン時、澳門金沙のプレミアム・フロアの長はKTという男で、この業界では世界的に知られた人だった(現在は、某大手カジノの副社長になっている)。

 勝った打ち手たちは気が大きくなり、帰り際に「とっとけ」とホストにティップ(Tips=こころづけ)をくれてやるのだが、KTが受け取ったティップは最初の1年間だけで2000万HKD(3億円)を超した!

 このエピソードは、現在にいたるまで、世界中のカジノ・ホスト間で語り継がれている。

 彼が澳門金沙から他の大手カジノに転職したのちの話となるが、わたしはKTからディナーの接待を受けたことがあった。そのときにこのエピソードの真偽を問うたら、

「この業界では、いろいろなことが起こりますから」

 と、否定も肯定もしなかった。

 すさまじい業界である。

 さて2002年に新規のライセンスを与えられた他の事業者たちが、澳門金沙の成功物語を指をくわえて眺めていたわけではない。

 ラスヴェガス系資本、オーストラリア系資本、香港系資本のメガ・カジノが続々とオープンした。そしてそれらを受けて立った、地元資本スタンレー・ホーのグランド・リスボアの開業も大きなインパクトを与えた。

 ハウス間で、大口の打ち手たちの争奪戦がおこる。

 そのおかげで、プレミアム・フロアの会員となるための敷居が、どんどんと低くなっていく。

 500万HKD(7500万円)→300万HKD→100万HKD→80万HKD→50万HKD、とバナナのたたき売り状態となった。

「ハイローラー」のカテゴリーにはとても入らないわたし程度の打ち手まで、ジャンケットではなくてもキャッシュ・バックの恩恵に、大手ハウスでもあずかれるようになってしまう。

 ちなみに、現時点ではメガ・カジノのプレミアム・フロアの会員になれる最小のデポジットは、20万HKD(300万円)~30万HKD(450万円)あたりまで下がった(ハウスによって異なる)。これ以上下がることは、まあ、なかろう。

 話を戻すと、2002年の法規制により、すくなくとも法律的には「身ぎれい」になったジャンケット事業者も、この間、どんどんと業績を上げていく。香港の資本市場に上場するジャンケット事業者まで現れた。

⇒番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(15)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。