番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(22)

 わたしが日本を離れたのは、1971年、23歳の時だった。3年弱、世界をうろついている。

 一時短い間日本に戻って身辺整理をし、1975年に本格的にイギリスに移住した。

 この1975年からわたしは、ロンドンのカジノで賭博をシノギの手段とするようになっている。

 それからシノギの場所は変わったが、もう40年以上、そんな生活をつづけてきた。

 長期間よくぞ生き残れたものである。自分でも、感心している。

 さて、カジノを生活の場とするようになってわたしが気づかざるを得なかったのは、日本で使用される「カジノ用語」の不思議さである。

 たとえば、シャッフルしたカードを収納する箱のことを、日本の多くの打ち手は、「シューター」と呼ぶ。

 通常、カジノで「シューター」といえば、クラップスでサイコロを投げる人のことを指す。

 あるいは、「ジャッキー」という言葉がある。

 これは「ブラックジャック」のことを意味する和製英語らしいのだが、普通カジノで「ブラックジャック」は「BJ(ビージェイ)」と呼ばれている。

 もっとすごいのは、「フェイス・カード(FACE CARD)」だ。

 多くの日本の打ち手にとって、BJ(ビージェー)でオープンされたディーラー側の一枚目のカードが、「フェイス・カード」だそうである。

 しかし日本での非合法のもの、あるいは韓国の合法カジノ以外で「フェイス・カード」といえば、「絵札」を意味する。数字ではなくて、ジャック・クイーン・キングと王族の「顔」が描かれているから「フェイス」カードなのである。

 その他、持ち点が21を超したことを意味する「バスト(BUST)」が、ジャパニーズ・スピーカーには発音が似ているらしい「バースト(BURST)」となったり(ただし、イングリッシュ・スピーカーにはまったく別音)、「ディファレンシャル」が「バランス」となったり、明らかな間違いや意味をなさない「和製カジノ用語」が多々存在する。

 勝負卓の横に立ち、ゲームの進行を監視しているのは、「インスペクター」ないしは「スーパーヴァイザー」であり、「ピット・ボス」ではない。

 英語で「ボス」というのは、もちろん「長」を意味する。そのセクションでは一番偉い人だ。「ピット(数台のゲーム・テーブルで囲まれた一区画。=島)」の中に数人も、「そのセクションで一番偉い人」が居るわけもあるまい。

 なぜそのような用語の混乱が起きたのか?

 1968年3月28日、韓国ソウル広津区で執り行われたウォーカーヒル・カジノのお披露目パーティにその原因があったのではなかろうか、とわたしは邪推している。

 豪華豪勢な会食のあと参加者たちは、もちろんゲーミング・フロアでの博奕(ばくち)に導かれた。

 そこでバッタまきや手本引きしか経験のない招待客たちに、きっと東声会の若い衆たちがゲームのルールや用語を、いい加減に説明したのだろう、とわたしは勘ぐる。

 もちろん東声会の若い衆たちだって、事前にカジノ・ゲームの講習くらいは受けていたのだろうが、いかんせん、付け焼刃。

 それゆえ、現在まで連綿とつづく「日本のカジノ用語」の混乱が始まった。

 以上が、摩訶不思議な「和製カジノ用語」成立に関する、わたしの邪推というかEDUCATED GUESSである。

 不思議な現象には、かならず不思議な原因が存在する。

「和製カジノ用語」にかかわり、これよりもっと説得力をもつ説明があるとするなら、是非、わたし宛か編集部宛にご一報いただきたい。よろしく。

続きはこちら⇒番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(23)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。