第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(1)

 年が暮れ、年が明けた。

 真冬の空が、からりと晴れあがっている。

 オフィスの窓から、西湾大橋と友誼大橋の両方が望めた。

 海峡を挟みグランド・リスボアの異様な建物が、半島を睥睨(へいげい)していた。

 マカオにおけるホー一族の権勢を思えば、それも致し方あるまい。

 橋の下を流れる水は、いつも変わらずお汁粉のごとく。

 これは西江から流れ込む珠江の水のせいだ。南シナ海に大陸の土砂を大量に運び込む。

 この年末年始、三宝商会は多忙だった。

 日本の長引く景気低迷などどこ吹く風とばかりに、大口客がバカラ卓でノンネゴシアブル・チップとビスケットを、ぶんぶんと回してくれた。

「24時間体制でよく頑張ってくれた」

 と都関良平は、1000ドルHKD(1万5000円)紙幣が50枚入った封筒を、優子に手渡した。

「こんなにいただいていいのですか。年末にボーナスを頂戴したばかりなのですけれど」

 優子が封筒の中身を確認しながら言った。

 使用者から渡された封筒の中の現金を、渡した者の眼の前で確かめる。

 いわゆる「日本的」なしぐさではなかろう。しかし、こういう点も良平が優子を評価している部分だ。

 どうせバスルームとか人目のないところで数えるのだ。

 それなら、渡してくれた者の前で、確認する。文句があるなら、その場で言えばいい。

「寄席や劇場での『大入り袋』だと思ってくれればいい」

 と良平。

「普通『大入り袋』の中身って、五百円玉が1枚入っているだけですよ」

 優子がかすかに笑った。

「クジラさんが大きく回してくれたら、その5倍の『大入り袋』だって出すさ」

「それじゃ、月給より一回の『大入り袋』の方がずっと多くなってしまう」

 優子とは基本給として年60万HKD(800万円)の契約だった。

 日本での初任給としては、とんでもなく良いものかもしれない。

 それだけではなく、良平はこの新入社員に、労働節後(これはまだやっていなかった)と年末に、半期純益の0.7%をボーナスとして、そして今回のようなかき入れ時には随時の「大入り袋」を与えるつもりである。

 その代わり、客が入っているときには、休みなし、一日24時間対応で動いてもらう。

 業界未経験の新人なのに、なんでこんなに給与条件が良いのか?

 ジャンケット事業者として一番困るのは、不満を持った社員に大口客のリストをもって、独立されてしまうことだった。

 いやこれはジャンケット事業者だけではなくて、カジノ事業者のVIP部でも、事情は同じだ。著名な例では、韓国セブンラック・カジノの副社長が、大口客を多数引き連れ、ジャンケットを開業したこともあった。

「そういえばこの業界に入る前に噂に聞いていた、クジラさんたちをわたしはまだお見掛けしていません。ひと滞在でハウスに3億円、5億円と持ち込む打ち手たちです。絶滅危惧種は、危惧するだけではなく本当に絶滅してしまったのでしょうか?」

 と問う優子。

「G社のオーナーのような大陸の超大口は別として、大王製紙元会長クラスなら、日本ではまだ3人ほど生き残っている。ただし連中は、ジャンケットでは打たなくなった。皆さん、ハウス直営のプレミアム・フロアで別室を仕立ててもらい打っている」

 と都関良平。

「どうしてジャンケットでは打たなくなったのですか?」

 と山縣優子。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(2)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。