第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(2)

「タチのよくないジャンケットの連中が、無茶な追い込みをかけたことがあった。そのとき取り立てられる側の人間が、某広域指定暴力団の名前を持ち出したから、取り立てる側も対抗上バックの組織名を出した。名前の出し合いになってしまったそうだ。まるで街のチンピラ同士の掛け合いみたいなものだ。お互いにビビるとそうなってしまう。まあ当時は、半グレ集団だとか、やくざや芸能人やスポーツ選手を従えて西麻布で飲むのが、新興企業経営者たちの一種のステイタス・シンボルだった時代だからね」

 と都関良平。

 大窓の外に広がっていた蒼穹(そうきゅう)に霞がかかりはじめた。

 午後になると、この高温ならそうなる。湿度がぐんぐんと上がっているはずだ。

「そういえば求職活動中にバイトしていた西麻布のクラブにも、そういう人たちが来ていました」

 と優子。

「へえ、数か月前でも、まだそういう連中も居たんだ」

 西麻布というのは不思議な街で、地下鉄も地上鉄道も通っていない。六本木通りと外苑西通りがぶつかるだけのただの交差点である。繁華街ですらない。

 一見閑静そうな住宅街に、クラブやガールズ・バーが点在し、そこに売り出し中の芸能人や年端(としは)もいかないアイドル志望の少女や近くにある有名女子大の学生たちが集まった。

 となると、夜な夜などういうことがおこなわれているのか、だいたいの想像はつくというものだ。

「そういう話が広がると、まともなジャンケットにも客が寄り付かなくなる。とりわけ超大口の打ち手たちが、カジノ事業者直営のフロアを選ぶようになってしまった。『三宝商会』もけっこういい客をつかんでいたのだが、一人・二人と消えていったな」

「でも、まだうちのあ客さんたちだって、大量のおカネを持ち込むじゃないですか」

 と優子が不思議そうに言った。

「3億円・5億円クラスの人たちはいなくなったよ。日本の大口さんたちはジャンケットじゃなくて、サンズ系かMELCO系のプレミアム・フロアで、別室を仕立ててもらい打っているそうだ。おっとウインに行く人もいたな」

「良平さんが日本に行っている間、お客さんも居なくて時間が自由になったので、『天馬會』のジャッキーくんに、グラリス(グランド・リスボアのこと)に連れて行ってもらい、S社のジャンケット・ルームを覗いてみたんですよ」

 と優子。

 どうやら二人の愛は順調に育(はぐく)まれているようだ。

「もう、すごいのです。一手で100万HKD(1500万円)・200万HKD(3000万円)って賭けてる人たちが居て」

「大陸からの打ち手たちだろ? まだそんな調子だったのかね」

「ジャッキーくんは、たまたまだ、と言っていましたが」

「北京政府の『反腐敗政策』以前は、ジャンケット・ルームはどこでもそんな状態だった。でも『掃黒除悪』で大陸からカネを動かすのが難しくなってからは、大手ハウスのVIP部(=プレミアム・フロアとジャンケット・ルームを合わせたもの)の売り上げが、全体の半分前後まで落ち込んだからね。一時は80%くらいいっていたものだが。現在ではその代わりに、マス(=一般フロア)が伸びている」

 良平は、昔日(せきじつ)の栄光に想いを馳せた。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(3)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。