第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(4)

 2020年の除夕(大晦日)は1月24日(金)だった。

 中国大陸および「一国二制度」下の地域も、そこから10日間の春節休暇に入る。

 除夕の夜には、『春节晚会』という、まあ『NHK紅白歌合戦』に似た番組が放映され、それを家族そろって見てみながら、日本では蕎麦だろうが、中国では餃子を食べる。これが、「吃饺子过年(=餃子を食べて年を越す)」だ。

 餃子を食べ終える時間となると、あちこちで烟花(=爆竹)が鳴って、まずはめでたく初一(=元旦)を迎えることになった。

 当たり前ならこの時期のマカオのカジノ・ハウスは、中国からの賭博客でひしめき合うほど混雑するのだが、この年は違った。

 湖北省武漢市を震源とする「新型コロナ・ウイルス」の流行があったからである。

 すでに前年12月には「新型肺炎」は散発的に報告されていた。

 だが、ここまで短期間に猖獗(しょうけつ)を極め、なおかつ春節休暇が終わっても感染が規模を大きくして広がるとは、政府関係者を含めほとんどの者が予想していなかったのではなかろうか。

 しかし一旦有事となれば、のちのマカオ政府の対応は迅速だった。

 マカオ経済の根幹は、なんといってもカジノ産業である。

 政府歳入の60%以上を、カジノ「売り上げ」からの直接税で賄(まかな)っている。

 それにもかかわらず、マカオ政府は2月5日から15日間、すべてのゲーミング・ハウスに営業停止命令を出した。

 その政策が成功したのか失敗だったか、のちに評価が定まるだろう。

 しかしそこいらへんが、大型豪華クルーズ船を「感染させるためのウイルス培養用シャーレ」化して「小さな武漢市をつくった」と海外から非難され、世界中にコロナ・ウイルス感染者を盛大にまき散らした日本政府との責任意識の違いである。

 その除夕を、都関良平は半島側に出張って、一人で寂しく酒を飲んだ。

 前年の8月に、娘のリリーはニューヨーク郊外にあるコーネル大入学のため、北アメリカに向け旅立っていた。

 学費とは別に、年5万USDの生活費を送る約束をしていたので、ニューヨーク生活といえども、学生としてならリリーはかなり裕福な生活を楽しめるはずだった。

 クリスマスは新しくできたボーイフレンドの実家があるロングアイランドで過ごしたそうだ。

 春節には大学の授業の関係で数日間だけ帰省する予定だった。それも「新型肺炎」の影響でかなわなくなってしまった。

 しかしラインで送られてくるメッセージを読む限り、リリーは大学生活を満喫しているようである。

 リリーが去り、還暦を迎えたのを期に、ナニィも故郷の瀋陽に戻っていった。

 良平はナニィに退職金として100万HKD(1500万円)を現金で渡した。

「謝謝(シェイシェイ)、多謝(ドーチェ)

 彼女は拝むようにして、良平に謝した。

 感謝をしたかったのは良平のほうである。

 マギーが連れてきたナニィの献身的な協力がなかったら、良平はリリーをここまで見事な少女に育て上げられなかっただろう。

 落ち着いたら、ナニィには、また100万HKD、いや100万人民元(こちらの方が若干高くなる)を送金しようと、良平は思う。

 カネなら、あった。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。